。しかし由緒ある絵馬が紛失したとあっては、その詮議がやかましいから、偽物をこしらえて掏り換えて置いたのです。高いところに懸けてある絵馬だから、下からうっかり[#「うっかり」に傍点]見上げただけでは誰も偽物とは気が付かない。このくらいの苦労をしなければ、良い物や珍らしい物は容易に手に入らない世の中ですよ」
 かれは得意の鼻をうごめかしていた。それを聞かされた人も相当の蒐集狂で、神社の絵馬を無断で引っぱずして来るくらいのことは随分やりかねない男であったので、普通の人ほどには驚きもしなかったが、それでも偽物をこしらえて掏り換えて来るほどの知恵はなかったらしく、今さらのように多左衛門の熱心を感嘆して帰った。

     二

 いつの世にも秘密は漏れ易い。お前さんだけにと云った丸多の話は、それからそれへと同好者のあいだに広がって、正雪の絵馬は盗み物であるという噂が立った。
 それを早くも聞き込んだのは、四谷|坂町《さかまち》に住むお城坊主牧野逸斎の次男万次郎であった。万次郎も「絵馬の会」に加入している一人で、丸多の主人とはかねて懇意の仲であったが、十日《とおか》ほど前の夜に尋《たず》ねて来て奥の間で多左衛門と何かの密談に時を移して帰った。その以後も殆ど毎日のように尋ねて来る。なんの為にそんなに足近く出入りをするのか、主人は口をつぐんで何事をも語らないのであるが、それが普通の用件や雑談でないことは、多左衛門の暗い顔色を見ても大抵想像されるので、女房や番頭らも心配した。女房のお才は大番頭の与兵衛と相談して、ある夜かの万次郎が帰るあとを尾《つ》けさせた。与兵衛は途中の小料理屋へ万次郎を誘い込んで、この頃の密談の内容を訊きただすと、万次郎は眉をひそめてささやいた。
「おまえの店の主人は飛んでもねえことをしてしまった。わたしも絵馬をあつめるのが道楽で、ずいぶん無駄な銭《ぜに》を使ったり、無駄な暇《ひま》を潰したりしているが、お前の主人は道楽が強過ぎるぜ。いかに熱心だからといって、和田の八幡から正雪の絵馬を持ち出すとは呆れたものだ。わざわざ偽物《にせもの》をこしらえて、本物と掏り換えて来るなんぞは、あんまり罪が深過ぎるじゃあねえか。いや、それも普通の絵馬ならば、なんとか内済にする法があるかも知れねえが、正雪の絵馬じゃあ何分にも事が面倒になる。由井正雪が天下の謀叛人だということは、三つ児でも知っている筈だ。あんな物をそのままにして置くお上《かみ》の思召《おぼしめ》しは知らねえが、それに眼をかけて、内証で盗み出して、自分の家《うち》に仕舞い込んで置くというのは、上を恐れぬ致し方だと云われても一言もあるめえ。おまえを嚇かすようだが、由井正雪は徳川のお家を亡ぼそうとした謀叛人だ。その謀叛人に心を寄せて、その奉納の絵馬を大事に仕舞って置くなぞとは飛んでもねえ話だ。万一それが露顕したら、公儀に対して不届きな奴だというので、重ければ死罪か遠島、軽くとも追放で家財は没収、何代か続いた丸多の家もお取り潰しになるのは知れたことだ」
 それを聞かされて、与兵衛も蒼くなった。まったく万次郎の云う通り、謀叛人の絵馬などを盗み出して、大事に仕舞って置くことが露顕したあかつきには、どんなお咎めを受けるかも知れない。盗むということがすでに悪いのに、それを盗んだ品が更に悪いのであるから、どうでも無事に済む筈がないと、彼はふるえ上がるほどに驚いたのである。それについて、万次郎は又云った。
「悪いことは知れ易いもので、この絵馬の一件がもう人の口の端《は》にのぼっている。このまま打っちゃって置いたら、どんなことが出来《しゅったい》するか判らねえ。私もおまえの主人とは懇意にしているのだから、なんとか無事に納めてやりてえと、このあいだから心配しているのだ。おまえの主人も今じゃあ後悔して、万事よろしく頼むというのだが、なにしろ莫大の金のいる仕事だ。こういうことは一人や二人に金轡《かなぐつわ》を嵌《は》めても、ほかの口から発《あば》き立てられちゃあ仕方がねえ。お奉行は別としても、南北の両奉行所に付いている与力同心は三百人もある。一人に十両と廉《やす》く積もっても、三千両はすぐに消えてしまう。岡っ引だって顔のいい奴には何とか挨拶をして置かなけりゃあならねえ。そんなこんなを併《あわ》せると、まず四、五千両は要るだろう。勿論、大金には相違ねえが、主人の命も助かり、丸多の店も無事に助かるということを考えれば、高いようで廉いものだ」
 この事件を揉み消すには、まず岡っ引の口を塞がなければならないというので、万次郎は多左衛門から百両ずつの金を二度うけ取った。しかしそんな事で済むわけは無いので、あとの金を早く工面《くめん》するように迫っているが、多左衛門はなぜか渋っているので、とかくに埒が明かないと、彼はや
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