屋で売っているような絵馬のたぐいでは満足できない事になって、近郷近在の神社などを巡拝しながら珍らしい絵馬をあさって歩くようにもなる。元来この絵馬はそれぞれの願主《がんぬし》が奉納したものだから、他人《ひと》がみだりに持ち去ることを許されないのであるが、なんとか頼んで内証で貰って来るものもある。貰って来るのはまだしもであるが、甚しきは無断で引っぱずして来るのもある。いわゆる蒐集狂で、それがために理非の分別《ふんべつ》を失うようにもなるのであった。
 丸多の主人多左衛門もやはり其の一人で、今では普通の趣味や道楽を通り越して、絵馬蒐集に熱狂する人間となってしまった。彼は山の手の同好者をあつめて「絵馬の会」というのを組織し、自分がその胆煎《きもいり》となって毎年の春秋二季に大会を催すことにした。大会は山の手の貸席か又は料理茶屋を会場として、会員一同が半季のあいだに蒐集した新奇の絵馬を持ち寄るのである。
 ことしの大会は今月の五日、四谷見附そとの或る茶屋で催されたが、そのときに丸多の主人は大きい古い絵馬を持ち出して、同好の人々をおどろかした。それが彼《か》の正雪の絵馬であった。この会に集まるほどの者は、いずれも多左衛門に劣らぬ数寄者《すきしゃ》であるから、勿論その絵馬を知っていた。そうして、丸多の主人がどうしてそれを手に入れたかを驚き怪しんで、みんな口々にその事情を訊《き》きただしたが、得意満面の多左衛門は唯にやにやと笑っているばかりで、詳しい説明をあたえなかった。
 そうなると一種の好奇心も手伝って、会員の幾人かはその後大宮八幡へ見とどけに行くと、かの絵馬は依然として懸かっているので、人々はまた不思議に思った。丸多は自分の物のように云っているが、実は神官になんとか頼んで、大会の当日だけひそかに借り出して来たのであろうと想像して、ある者は丸多の宅へ押し掛けて詰問すると、多左衛門は笑いながら彼の絵馬を出して見せたので、その人は又おどろかされた。同じ絵馬が世に二つと無い以上、その一つは偽物《にせもの》でなければならない。どう考えても、由井正雪の絵馬、殊にその画面も寸分違わないような同一の絵馬がほかにあろうとは思われないので、更にその出所を根掘り葉掘り詮議すると、多左衛門は声をひそめて話した。
「これはお前さんだけに極内《ごくない》でお話し申すが、実は八幡様から盗み出して来たのです
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