りに辞退したが、ほかに思惑《おもわく》のあるおきぬ母子は無理に一緒に付いて行って、娘の親にも逢った。母は先年世を去って、当時は父の小左衛門と娘お節の二人暮らしであることも判った。おきぬはその翌日、女中のお直をつれて再び馬道の家へきのうの礼にゆくと、お節はきょうも参詣に出たというので留守であった。父の小左衛門は病中で、この頃は碌々に子供たちの稽古も出来ないが、娘がよく世話をしてくれるのでどうにか無事に日を送っている。親の口から申すも如何《いかが》ながらと、小左衛門はわが子の孝行を褒《ほ》めるように云った。
浪人ながらも武士の子で、容貌《きりょう》が美しくて、行儀が好くて、親孝行であるという以上、嫁として申し分のない娘である。浪人の貧乏はめずらしくない。系図さえ正しければ町人の嫁として不足はない。本人の久兵衛よりも、母のおきぬがこの娘に惚れてしまったのである。彼女はその後も山谷の家を二、三度たずねて、ついに縁談を持ち出すと、折角ながら独り娘であるからというので、一旦は断わられた。それを押し返して幾たびか口説《くど》いた末に、父の小左衛門には毎月相当の隠居料を贈ること、お節には嫁入りの支度
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