いてはわたしを助けると思って、土蔵に仕舞ってある金をぬすみ出してはくれまいか。万一それが露顕した暁には、わが身にかえても決してお前に難儀はかけまいと、彼女は泣いて口説《くど》いたのである。
 奉公人として主人の金をぬすみ出すのは罪が深い。殊に十両以上の金であれば、死罪に処せられるのが定法《じょうほう》である。それを承知しながら新次郎がやすやすと承知したのは、お節のことばに一種の謎が含まれていたからであろう。彼はもうなんの分別も無しに、手近の金箱から二百両と百八十両を二度ぬすみ出して、お節の指図通りに山谷の実家へとどけたのである。
 お節がなぜ夫を殺したのか、それに就いてはなんにも知らない。自分も不意の出来事におどろいたと、新次郎は申し立てた。
 表へ飛び出すお節を追っかけて行った時、店の灯が薄暗いのでよくは判らなかったが、散らし髪を振りかぶっているお節の顔が、どうも其の人らしく見えなかったので、自分は今でもそれを疑っていると、彼は云った。
 徳次は更にお直を調べた。
「お直。おまえは幾つだ」
「二十歳《はたち》でございます」
「鍋久には何年奉公している」
「三年でございます」
「新次郎
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