て来てから、三人の話し声が俄かに低くなって、外へはちっとも洩れなくなったので、二人は苛々《いらいら》しながら猶も窺っていると、忽ちに女の悲鳴が起った。
「あれ、人殺し」
 もう猶予は出来ないので、二人は格子を蹴開いて跳り込むと、小左衛門は早くも行灯を吹き消した。狭い家内《やうち》の闇試合で、どうにか男ひとりを取り押えたが、ほかはどこにいるのか見当が付かなかった。徳次は大きい声で呼んだ。
「長屋の者は早くあかりを持って来い。御用だぞ」
 御用の声を聞いて、長屋の者どもは提灯や蝋燭を照らして来た。ふたたび明るくなった家内には若い女が半死半生で倒れていた。お店者ふうの若いものが徳次に押えられている。あるじの小左衛門のすがたは見えなかった。
「畜生……」
 押えている男を半七に渡して、徳次は露路の外へ追って出たが、暫くしてむなしく帰って来た。表は月の明るい夜でありながら、逃げ足の早い小左衛門は、巧みにゆくえを晦ましてしまったというのである。
 女は鍋久のお直で、小左衛門のために咽喉《のど》を絞められかかったのであるが、人々に介抱されて息をふき返した。男はかの新次郎であった。彼等ふたりは自身番へ
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