にして、そこらをうろ付いている筈であるが、半七は念のために露路の奥へ覗きにゆくと、井戸を前にした小左衛門の家の奥から女の泣き声が洩れてきこえた。
 女はお直かお節かと、半七は胸をおどらせながら耳を澄ましていると、低いながらも鋭いような男の声が更にきこえた。
「お前のいうのはみんな云いがかりだ。あまりにばかばかしくって、相手になっていられない。もういい加減にして、帰れ、帰れ」
「いいえ、若いおかみさんは生きているに相違ありません。きっと、どっかに隠れているんです」と、女は泣き声をふるわせて、相手に食ってかかるように叫んだ。
「まだそんなことを……。近所へきこえても迷惑だ。さあ、帰れ。浪人しても、おれは侍だ。不法の云いがかりをすると、容赦しないぞ」
 この時、露路の口から忍ぶようにはいって来る足音がきこえたので、半七はあわてて井戸側のかげに身をかくすと、一人の男があたりを見まわしながら、小左衛門の家の格子《こうし》をそっとあけた。そのあとから徳次も抜き足をして追って来た。
「おい。野郎が来たぞ」と、彼は半七を見付けてささやいた。
 予定の通りに、新次郎が忍んで来たのである。しかも彼がはいっ
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