ません。いよいよ罪に罪を重ねることになりました」
「どんな悪いことをしたんですか」
「まあ、すぐに手帳を出さないで下さい。これはわたくしの若い時分のことで、後にわたくしの養父となった神田の吉五郎が指図をして、わたくしは唯その手伝いに駈け廻っただけの事なんですから、いちいち手に取るようにおしゃべりは出来ません。まあ、考え出しながら、ぽつぽつお話をしましょう」
天保十二年の三月二十八日から浅草観音の開帳が始まった。いわゆる居開帳《いかいちょう》であるが、名に負う浅草の観世音であるから、日々の参詣者はおびただしく群集した。奥山の驢馬《ろば》の見世物などが大評判であった。
その参詣のうちに、日本橋北新堀の鍋久という鉄物《かなもの》屋の母子《おやこ》連れがあった。鍋久は鉄物屋といっても主《おも》に鍋釜類をあきなう問屋で、土地の旧家の釜浅に次ぐ身代《しんだい》であると云われていた。先代の久兵衛は先年世を去って、当主の久兵衛はまだ二十歳《はたち》の若者である。久兵衛のほかに、母のおきぬ、女中のお直、小僧の宇吉、あわせて四人が浅草の開帳を拝みに出たのは、三月二十九日の陰《くも》った日で、家を出る
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