が……。おまえさんは半介さんかえ」
「へえ、半介でございます」と、彼は半七の顔をじっと視た。
「おもしろい勝負事の邪魔をして、済まなかったな」と、半七も店に腰をおろした。
「はは、勝負事……。こんな勝負事なら、店の先でも立派にやれますよ」と、半介は笑いながら、手に持っている駒を投げ出した。「まあ、勝負はあしたまでお預かりだ」
眼で知らされて、相手の男は早々に立ち去った。そのうしろ姿を見送って、半七は云った。
「女郎屋の若い衆《しゅ》らしいが、いくら昼間でもここらへ来て将棋をさしているようじゃあ、宿《しゅく》もこの頃は閑《ひま》だと見えるね」
「ひどい閑ですよ。なにしろ倹約の御趣意がよく行き届きますからね」と、半介はすこし顔をしかめた。「先月の二十六日なんぞも寂しいもんでした」
こんな話をしているあいだも、彼は油断なく相手の眼色を窺っているらしかった。
「実はきょう来たのはほかでもねえが、今も云う通り、徳次兄いに頼まれて来たのだ。おめえは兄いを識《し》っているのだろうね」と、半七は先ず念を押した。
「二、三度お目にかかった事があります。そこで兄いの御用というのは何んでございますね」
「少しおめえに訊きてえことがある。……おめえはおとといの晩、北新堀の鍋久へ何しに行ったのだね」
半介はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としたように眼を光らせたが、やがてにやにやと笑い出した。
「まったく悪い事は出来ねえ。徳次兄いはもう知っていなさるのかえ。こりゃあ恐れ入りました。まことに相済みません」
定めてシラを切るのだろうと思いのほか、余りあっさりと砕けて出たので、半七も少しく当てがはずれた。それと同時に、こいつなかなか図太い奴だと思った。
「徳次兄いに睨まれちゃあ助からねえから、何もかも正直に云いますがね。実はおとといの晩鍋久へ行って、ちっとばかり小遺いを貰って来ましたよ」と、半介はまた笑った。「だが、あの片袖は贋物でも拵え物でもねえ、全くわっしが品川へ夜釣りに行って引き揚げたんです。死骸を引き揚げるといろいろ面倒になるから、不人情のようだが突き流してしまって、片袖だけを取って来たんですよ」
「鍋久の一件を知っているのかえ」
「そりゃあ早いからね」と、彼は又笑いながら自分の耳を指さした。
「それにしても、その死骸が鍋久の嫁だということがどうして判ったね」
「そりゃあ確かには判らねえ。そこは推量さ」
「向うへ行って、もし間違っていたら引っ込みが付くめえ」
「そりゃあ段取りがありまさあね」と、彼は半七の無経験をあざけるように答えた。「いきなり証拠物を出しゃあしねえ。まず番頭に逢って、こちらのお嫁さんの死骸は見付かったかと訊くと、まだ見付からねえという。家を飛び出した時にはどんな物を着ていたかと訊《き》くと、四入り青梅の単衣《ひとえ》でこうこういう縞柄だという。それがぴったり符合《ふごう》していりゃあ、もう占めたものだ。そこで初めて怪談がかりになって、証拠の片袖を御覧に入れるんだから十《とお》に一つも仕損じはありゃあしねえ。ねえ、そうじゃあありませんか」
後学のために覚えて置けと云わないばかりに、彼はそらうそぶいていた。こうなると普通の騙《かたり》りや強請《ゆすり》ではない。ともかくも其の片袖は本物である。十両の礼金は鍋久が勝手にくれたのである。それらの事情をうまく云いまわせば、彼は単に叱り置くぐらいのことで、ほんとうの科人《とがにん》にはならないかも知れない。彼が多寡をくくって平気な顔をしているのも、それが為であろうと半七は思った。
しかもお節はほんとうに死んだのか、或いはどこかに潜《ひそ》んでいるのか、まずその生死を確かめなければならない。自分たちの鑑定通りに、川へ飛び込んだのはお節の替玉であるとすれば、半介の話は全然うそである。自分を青二才とあなどって、いい加減に誤魔化すのである。嘘か、本当か、年の若い半七はしばらく思案に迷ったが、いかにも人を食っているような半介の態度が、正直に物をいう人間であるらしく思われなかった。半七は重ねて訊《き》いた。
「きょうは八日だ。鍋久へ行ったのはおとといの夕方だから、その前の晩といえば五日だな。おめえは何処から舟を借りて出た」
「銭もねえのに釣り舟なんぞ借りるもんですか。品川の浪打ちぎわへ行って釣ったのさ」
「その釣り道具を見せてくれ」
半介はすぐに立って、奥の台所から釣り竿と魚籠《びく》を持ち出して来た。
「おまえさん、まだわっしを疑っているね」と、彼は笑った。「徳次兄いは何と云ったか知らねえが、わっしはそんなに悪い人間じゃありませんよ。あはははは」
ここでいつまで争っても水掛け論であると諦めて、半七は怱々《そうそう》にここを出た。鍋久へ片袖を持参したのは、半介に相違ないということを突き留めただけ
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