増蔵はほろよい機嫌であったが、これは山出しのお由とちがって、江戸生え抜きの職人であるだけに、半七らが唯の人でないことに早くも気がついたらしく、俄かに形をあらためて丁寧に挨拶した。
「わたくしは増蔵でございますが、なんぞ御用でございますか」
「おれは三河町の半七だが、内の者はまだ誰も来ねえかね」
「いえ、どなたも……」と、増蔵は不安らしく相手の顔をみあげた。
「まだここらまでは廻って来ねえか。遅い奴らだな。じゃあ、すぐに御用に取りかかろう。本来ならば番屋へ引っ張って行くのだが、近所の手前もあるだろうから、ここで訊くことにするよ」
 小僧を奥へ追いやって、半七は店にあがり込んだ。よもやとは思うものの野暮《やぼ》に立ち騒いだらば直ぐに押える積りで、幸次郎は店さきに腰をかけていた。
 しかし相手は案外におとなしく、半七の調べに対して正直に答えた。
「まことに恐れ入りました。実はきのう両国の仮橋の下から女の死骸が揚がって、それが金の蝋燭をかかえていたという噂を聞きまして、すぐに訊きに行きますと、確かに見おぼえのある人でしたから、そこで正直にお係りのお方に申し上げようかと思ったのですが、なんだか気が咎めて其のままそっと帰って来てしまいました。それがためにいろいろお手数《てかず》をかけまして相済みません」
「おめえは以前から田町の宗兵衛を識っているのか」
「いえ、去年の九月頃からでございます。実は去年の正月に女房をなくしまして、それからちっとばかり道楽を始めたので、ふところがだんだん苦しくなりまして……。そのうちに、吉原の若い者の喜助という者と懇意になりまして、その喜助が袖摺稲荷の近所にいる宗兵衛という金貸しを識っているというので、喜助の世話でそこから小金を借りることになって、それからまあ足を近く出這入りをするようになりました」
「宗兵衛からよっぽど借りたか」
「一度にたんと借りたことはございません。せいぜい二|歩《ぶ》か三歩でしたが、それでもだんだんに元利が溜まってしまいまして、今では七、八両になって居ります」
「七、八両……。職人にしては大金だ。それを宗兵衛は催促しねえのか」
「ちっとも催促しないで、いつもいい顔をして貸してくれました。あとで考えると、それには少し思惑《おもわく》のあることで……。先月のはじめに田町の家へたずねて参りますと、宗兵衛は一本の大きい蝋燭を出して見せ
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