へ顔出しをする積りですが、それよりもまあ緑屋さんへ早く挨拶に行って、なにかの指図を受けた方がよかろうというので、取りあえずお邪魔に来たようなわけで……」
まだ何か云おうとする半七を、甚右衛門は大きい手をあげて制した。
「いけねえ、いけねえ。相変わらず如才《じょさい》ねえことを云って、ひとを煽《おだ》てちゃあいけねえ。堅気になってもう十年、めっきり老い込んでしまった甚右衛門が、売り出しのお前さん達に何の指図が出来るもんか。だが、よく尋ねて来てくんなすった。まあ、ゆっくりおしなせえ。一|杯《ぺえ》やりながら何かの相談をしようじゃあねえか」
今は堅気になっていても押上の甚右衛門、ここらでは相当に顔の売れている男である。その顔を立てて真っ先に尋ねて来た半七に対して、彼も大いに厚意を示さなければならなかった。江戸のお客の口には合うまいがと云い訳をしながら、彼は女房や女中たちに指図して、すぐに酒肴を運び出させた。
「竜濤寺の一件は大抵知っていなさるだろうね」と、甚右衛門は猪口《ちょこ》をさしながら訊《き》いた。
「よく知りません。なんでも出家が二人、虚無僧が二人、古井戸のなかで死んでいたそうで……」と、半七は答えた。
「そうだ、そうだ」と、甚右衛門はうなずいた。「詰まりはそれだけのことで、ほかにはなんにも手がかりはねえ。からだに疵のねえのを見ると、自分たちで身を投げたようにも思われるが、坊主と虚無僧の心中でもあるめえ。ここらじゃあ専《もっぱ》ら仇討という噂を立てているが、それもどうだかな」
「かたき討……」
「相手が虚無僧だけに、芝居や講釈から割り出して、かたき討なぞという噂も出るのだ。仇ふたりが出家に姿をかえて、あの古寺に忍んでいるところへ、虚無僧ふたりが尋ねて来て、親か兄弟のかたき討、いざ尋常に勝負勝負の果てが、双方相討ちになったのだろうというのだが……。それにしても、四人の死骸がどうして井戸から出て来たのか、その理窟が呑み込めねえ、第一、どの死骸にも疵のねえのが不思議だ」
「その寺には金《かね》でもありますかえ」
「ここらでも名代《なだい》の貧乏寺さ。いくら近眼《ちかめ》の泥坊だって、あの寺へ物取りにはいるような間抜けはあるめえ。万一物取りにはいったにしても、坊主も虚無僧もみんな屈竟《くっきょう》の男揃いだ。たとい寝込みを狙われたにしても、揃いも揃ってぶち殺されて、片っ端から井戸へ抛《ほう》り込まれてしまうというのは、ちっと受け取りかねる話じゃあねえか」
「その虚無僧は、前から寺に泊まっていたんですかえ」
「今までは住職と納所《なっしょ》ばかりだ。そこへ何処からか虚無僧二人が舞い込んで来て、一緒に死んでいたんだから、何がどうしたのか判らねえ」
「ふうむ」と半七は、猪口をおいて考えていた。松吉も眼をひからせながら、黙って聴いていた。
「それに就いて少し話がある」
云いかけて甚右衛門は眼で知らせると、酌に出ていた女中はこころえて、早々に座を起って行った。その足音が梯子段の下に消えるのを聞きすまして、彼はひと膝ゆすり出た。
「死骸の見付けられたのはきのうの朝のことだが、虚無僧はその四日前の十五夜の晩から泊まり込んでいたらしい。それを知っている者は、ここらにたった一人あるんだが、うっかりした事をしゃべって飛んだ係り合いになっちゃいけねえと思って、黙って口を拭《ぬぐ》っているのだ。そいつの話によると、ほかに一人の若けえ女が付いていたそうだ」
「若けえ女……」と、半七と松吉は思わず顔をみあわせた。
「むむ、若けえ女だ」と、甚右衛門はほほえんだ。「ところが、その若けえ女だけは死んでいねえ。おもしれえじゃねえか」
なるほど面白いと半七も思った。その女の身許を突き留めれば、もつれた糸はだんだんに解けるに相違ない。それを知っているたった一人の男というのは、この村の元八であると甚右衛門は話した。
「元八というのは、ここの家《うち》へも始終遊びに来る奴で、ゆうべも私のところへ来て、実は十五夜の晩にこうこういうことがあったと、内証で話して聞かせたのだ」
三
気の毒なほどの馳走になって、女中たちに幾らかの祝儀をやって、半七と松吉が緑屋を出たのは昼の八ツ(午後二時)を少し過ぎた頃であった。
「緑屋の爺さんのお扱いがいいので、思いのほかに油を売ってしまった。これから本気になって稼がなけりゃあならねえ」と、半七はあるきながら云った。
「真っ直ぐにその竜濤寺というのへ行ってみますかえ」と、松吉は訊《き》いた。
「いや、まあ、名主のところへ顔を出して置こう。それでねえと、なにかの時に都合の悪いことがある」
二人は名主の家をたずねて、寺社方の御用で来たことを一応とどけて置いた。ここでも事件のひと通りを聞かされたが、別にこれぞという手がかりも見いだされなかった。
「これから現場へ踏み込んでみたいのですが、誰か案内して貰えますまいか」
名主の家では承知して、作男《さくおとこ》の友吉という若い男を貸してくれた。ここから竜濤寺までは少し距《はな》れているので、その途中でも半七はいろいろのことを案内者に訊《き》いた。
「一番はじめに死骸を見付けたというお鎌婆さんは、どんな人間だね。正直かえ」
「正直者という程でもねえかも知れねえが、これまで別に悪い噂も聞かねえようですよ」と、友吉は答えた。
「若いときには品川辺に住んでいたそうですが、十五六年も前からここへ引っ込んで来て、小さい荒物屋をやっています。三年前に亭主が死んだ時、自分の寺は遠くて困るというので、あの竜濤寺に埋めて貰って、墓まいりに始終行っていたのですよ」
「婆さんは幾つだね」
「五十七八か、まあ六十ぐらいだろうね。子供はねえので、亭主に別れてからは、孀婦《やもめ》で暮らしていたのです」
「家《うち》はどこだね」
「徳住寺……。神明様のあるお寺だが……。その寺のすぐそばですよ」
「その婆さんは本当に子供はねえのかね」と、半七は念を押した。
「よそにいるかも知れねえが、家にはいねえ。自分は子供も親類もねえと云っていますよ」
十五夜の月の下にさまよっていた若い女は、元八にむかって神明様のありかを尋ねたということを、半七は甚右衛門の話で知っていた。その女とお鎌婆さんとの間に、何か因縁があるのでは無いかと、半七はふと思い付いた。たとい実の子はなくとも、親類の娘か、知り合いの女か、それがお鎌をたずねて来るようなことが無いとも限らないと、彼は思った。それにしても、他人《ひと》に道を尋ねるようでは、初めてお鎌の家をさがしに来たのかも知れないと、彼は又かんがえた。そのうちに、三人は竜濤寺の門前に行き着いた。
「成程、ひどい荒れ寺だな」と、松吉は傾きかかった門を見あげながら云った。「これじゃあ何かの怪談もありそうだ」
門内にはそのむかし雷火に打たれたという松の大木がそのままに横たわって、古い石甃《いしだたみ》は秋草に埋められていた。昼でも虫の声がみだれて聞えた。いかに貧乏寺といいながら、ともかくも住僧がある以上、よくもこんなに住み荒らしたものだと思いながら、半七は草を踏みわけて進んでゆくと、死骸の見いだされた古井戸はそれであると、友吉は庫裏《くり》の前を指さして教えた。大きい百日紅《さるすべり》の下にある石の井筒には、一面に湿《しめ》っぽい苔がむしていた。今度の騒ぎで荒らされたと見えて、そこらの草はさんざんに踏み散らされていた。
半七も松吉も井戸をのぞいた。日をさえぎる百日紅の影に掩われて、暗い古井戸の底は更に薄暗かった。井戸はなかなか大きいので、四人の死骸を沈めるのに仔細はないと思われた。友吉に案内させて、半七らは更に墓場を見まわると、そこらの大樹の下に二、三カ所、新らしく掘り返したような跡が見いだされた。半七は身をかがめて窺うと、本堂の縁の下にも同じような跡が見えた。
「むやみに掘りゃあがったな」
「そうですね」と、松吉も仔細らしく首をかしげていた。
三人はそれから本堂にのぼると、狭いながらも正面には型のごとくに須弥壇《しゅみだん》が設けられて、ひと通りの仏具は整っていた。しかもそこらは埃《ほこり》だらけで、大きい鼠が人の足音におどろいて逃げ去った。
「仏さま、御免ください。少々お邪魔をいたします」
こう云って、半七は仏前の香炉、花瓶、そのほかの仏具を一々|検《あらた》めたが、やがて小声で松吉に云った。
「おい。見ろ。埃だらけの仏具に新らしい指のあとが残っている。ゆうべか今朝あたり、ここらを掻きまわした奴があるに相違ねえ」
半七はそこにある木魚《もくぎょ》を叩いてみた。
「この寺じゃあ木魚を叩きますかえ」と、彼は友吉に訊《き》いた。
木魚を叩くか叩かないか、それはよく知らないと友吉は答えた。半七は再び木魚をたたいた。
「和尚の居間はどこだね」
「こっちですよ」
友吉は先に立って行きかかると、半七もふた足三足ゆき掛けたが、また小戻りして松吉にささやいた。
「おい、松。その木魚には仕掛けがある。あっちへ行っている間《ひま》に調べて置け」
無言でうなずく松吉をそこに残して、半七は友吉のあとを追ってゆくと、破れ襖は明け放されたままで、住職の居間という六畳敷のひと間が眼の前にあらわれた。半七は先ず押入れをあけると、内には寝道具と一つの古葛籠《ふるつづら》があった。葛籠には錠が卸してなかった。
「ちょいと手を借してくんねえ」
友吉に手伝わさせて、半七は押入れから寝道具をひき出してみると、枕は坊主枕一つと木枕二つ、掛蒲団と敷蒲団も三、四人分を貯えてあるらしかった。大きい古蚊帳も引んまるめたように畳んであった。
松吉はそっと来て声をかけた。
「親分……」
なにかの発見をしたらしい眼色を覚って、半七は友吉を見かえった。
「おめえはちょっとの間、玄関の方へでも行って待っていてくれねえか。邪魔にするわけでもねえが、御用で調べ物をする時に、他人《ひと》が傍にいちゃあ困ることがある」
友吉はおとなしく立ち去った。それを見送って、二人はもとの本堂へ引っ返すと、松吉はかの木魚を指さした。
「親分はさすがに眼が利いているね」
「眼が利いているのじゃあねえ、耳が利いているのだ。あの木魚の音がどうも唯でねえと思った。それで、どうした」
「この通り……」と、松吉は笑いながら木魚に手をかけてもたげると、木魚には底蓋《そこぶた》があった。
「なるほど。考えやがったな」と、半七も笑った。
木魚の内が空になっているのは普通であるが、これは別に底蓋を作って、その上に被《かぶ》せるように仕掛けてあった。ただ見れば有り触れた木魚であるが、その口から何物かを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》し込めば、底蓋の上に落ちて自由に取り出すことが出来るようになっている。現に小さい結び文《ぶみ》が落ちていた。
半七はその結び文をあけて見ると、女文字で「十五や御ようじん」と書いてあった。十五夜御用心――それは十五夜に於ける異変を予告するようにも見られた。
「なんの為にこんな仕掛けをして置いたのかな」と、松吉は木魚をながめた。「密書を投げ込む為かね」
「まあ、そうだろう。今も寝道具を調べたら、白粉や油の匂いがする。ここには女文字の文《ふみ》がある。なにしろ、この一件には女の詮議が肝腎だ。案内の男に云いつけて、まず荒物屋のお鎌という女を呼んでみよう。いや、あの男がぼんやりしていて、相手を逃がしてしまうと詰まらねえ。おめえも一緒に行って、女をここへ連れて来てくれ。おい、それからな……」と、半七は何事かをささやいた。
「あい、ようがす。だが、お前さん一人ぼっちでこんな所にいて……。なにが出て来るか判りませんぜ」
「はは、大丈夫だ。いくら古寺でも、まっ昼間から化け猫が出ても来ねえだろう。出てくるのは鼠か藪っ蚊か。まあ、そんなものだろうよ」
「ちげえねえ。じゃあ、行って来ます」
松吉は縁さきから庭に降りて、表の玄関口へまわったかと思うと、やがて聞き慣れない男の声がきこえるので、半七は暫く耳を澄まし
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