げ落ちたのか、あるいは石段を降りて行って、うす暗い水の上で寝ぼけた顔でも洗い直しているときに、あやまって滑《すべ》りこんだのか、おそらく二つに一つであろう。そのあとへ平七が来て、誰もまだ来ていないのを見て、あき茶屋の葭簀のなかへはいって寝込んでしまった。又そのあとへ藤次郎が来て、自分は置き去りを食ったのかと疑って、庄五郎の家へ聞き合わせに行った――係り役人は先ずこういう意見で、庄五郎の死骸はとどこおりなく女房に引き渡された。その死骸に何の疵もなく、なんの紛失物もないのをみれば、お国もそう考えるよりほかはなかった。
 それから二日《ふつか》目の八ツ(午後二時)頃に、庄五郎の葬式は三田の菩提寺で営まれた。藤次郎はふだんからの懇意でもあるので、通夜は勿論、きょうの葬式にも施主《せしゅ》側と一緒になっていろいろの手伝いをした。平七は庄五郎と同職で、しかも従弟《いとこ》同士であるので、無論に昼夜詰め切りで働いた。
 庄五郎は二十八歳を一期《いちご》として世を去ったが、従弟の平七のほかに是《これ》ぞという親戚はなかった。お国も浅草にひとりの叔母をもっているだけで、その叔母が来て何かの世話を焼いていた。年も若し、子供も無し、殊に女には出来ない商売であるから、小僧の次八は平七の方にたのんで、お国は夫の三十五日の済むのを待って、世帯《しょたい》を畳んでひと先ず浅草の叔母の家へ引き取られるということになっていた。お国さんは容貌《きりょう》も好し、人間も馬鹿でないから、どこへでも立派に再縁が出来ると近所でも噂していた。
 四月十日の小雨《こさめ》のふる宵であった。同町の往来で二人の男が喧嘩をはじめた。最初は番傘で叩き合っていたが、しまいには得物《えもの》を投げすてて組打ちになった。まだ宵の口のことであるので、近所の者もそれを見つけて、二、三人がその仲裁にかけ出すと、その男は平七と藤次郎であった。
「おれは庄五郎の親類だ。死んだあとの世話をするのに不思議があるか」と、平七は云った。「てめえこそ他人のくせに余計な世話を焼くな」
「おれは他人でも、庄五郎とはふだんから兄弟同様にしていたんだから、そのあとの世話をしてやるのが義理人情というものだ。本来ならば手前もお国さんと一緒になって、どうも御親切にありがとうございますと、おれに礼をいうのが本当だ」と、藤次郎は云った。
「べらぼうめ。誰がうぬらに
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