庄五郎の女房のお国という女に惚れているのだろう」
平七は勿論、藤次郎も一緒にうつむいてしまった。ふたりの腋《わき》の下に冷たい汗が流れているらしかった。
「おれはまだ知っている」と、妻吉は畳みかけて云った。「貴様はこの正月ごろ、町内の湯屋の番頭とお国の噂をして、あの女に亭主が無ければなあと云ったそうだが、ほんとうか」
身におぼえがあると見えて、平七はやはり俯向いたままで黙っていると、妻吉は勝ち誇ったように笑った。
「もう、いい。あとは親分や旦那が来て調べる」
平七は六畳の板の間へ投げ込まれて、まん中の太い柱にくくり付けられた。藤次郎は御用があったらば又よびだすというので、一旦無事に帰された。
三
それから三日《みっか》ほど後に、芝の愛宕下で湯屋《ゆうや》をしている熊蔵が神田三河町の半七の家へ顔を出した。熊蔵が半七の子分であることは読者も知っている筈である。
「湯屋熊。久しく見えなかったな。嬶《かかあ》でも又寝込んだのか」と、丁度ひる飯を食っていた半七は云った。
「なに、わっしが飲み過ぎて少し腹をこわしてね」と、熊蔵は頭を掻いていた。「時に、あの高輪の一件、あいつは惜しいことをしました。わっしもちっと聞き込んでいたんですが、今も云う通り、からだを悪くしてぐずぐずしているあいだに、伊豆屋の妻吉に引き挙げられてしまいました」
「むむ、鋳掛屋の一件か。おれもその話は聞いたが、なんと云っても伊豆屋の縄張り内だから、先《せん》を越されるのは当りめえだ」と、云いかけて半七は少しかんがえていた。「だが、実はまだおれの腑に落ちねえところがある。おめえはあの一件をよく知っているのか」
「ひと通りは知っていますよ」
「露月町の鋳掛屋の平七、そいつが下手人《げしゅにん》として挙げられたようだが、白状したのか」
「強情な奴で、なかなか素直に口をあかねえそうですが、伊豆屋も旦那方もおなじ見込みで、もう大番屋《おおばんや》へ送り込んだということです」
熊蔵の説明によると、平七が如何に強情を張っても、かれは無垢《むく》の白地でもどされて来そうもないというのである。かれが庄五郎の女房お国に惚れていて、あの女に亭主がなければと口走ったのは事実で、それには証人もあり、当人自身も認めている。庄五郎が死んだ後に、従弟同士とはいいながら、彼がなにから何まで身に引き受けて世話をしているば
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