まかれてぼんやりと突っ立っていた。ゆうべからの事をかんがえると、かれはやはり夢でも見ているのか、それとも八幡の森の狐にでも化かされているのかと、自分で自分を疑うようにもなった。
「為さんはお内ですね」
 再び念を押すと、お新は内にいるとはっきり答えた。その上に詮議のしようもないので、お徳は気が済まないながらも一旦は空《むな》しく引き揚げるのほかはなかった。
「藤さんは浮気者だから、ここの家《うち》へ来るなんて旨いことを云って、どっかへしけ込んでいるんじゃありませんかえ」と、お新は笑っていた。
 年下の女にからかわれて、この場合、お徳も少しむっ[#「むっ」に傍点]としたが、そんなことを云い争っている時でもないので、かれはそれを聞き流して怱々《そうそう》に帰った。それにしても亭主はどこへ行ったのであろう、もしや留守のあいだに帰っているかも知れないと、急いで内へはいってみると、内は行灯を消したままで藤吉はまだ帰っていなかった。
 死んだはずの為さんは生きていて、生きていたはずの亭主がゆくえを晦《くら》ましたのである。為さんは無事に泳ぎついて助かったのかも知れないが、亭主のゆくえ不明がどうして
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