判らないが、前後の事情から考えて、又その模様から判断して、それが普通の心中でないことは半七にも想像された。勝次郎は痣娘にその若い命をちぢめられたらしい。それについて藤左衛門は眼をふきながら云った。
「お役目の方が御覧になりましたなら、何もかもお判りでござりましょうから、なまじいに隠し立てはいたしません。娘は思いあまって、こんな事になったのであろうと存じます。これが人なみの娘でござりましたなら、たといどんな片輪者でござりましょうとも、勝次郎さんにもよく頼んで、なんとか添い遂げる御相談のしようもあるのでござりますが、どうもそれがなりませんので……」
云いさして彼は声を呑んだ。その白い鬢《びん》の毛のかすかにふるえているのも痛ましく見えて、半七も思わず眼をしばたたいた。
「いや、判りました。もう仰しゃるには及びません。何もかもお察し申して居ります。ついては棟梁」と、かれは大五郎を見かえった。「おまえさんも弟子ひとりを取られて、さぞ残念には思うだろうが、これも因縁ずくで仕方がねえ。なんにも云わずに、この二人は心中ということにして、こららの家《うち》の菩提所へ合葬してやったらどうだね」
「何分よろしくねがいます」と、大五郎も素直に承知した。
藤左衛門の眼からは新らしい涙が流れた。半七と大五郎は二つの亡骸のまえに改めて線香をそなえた。
雑司ヶ谷心中と世間にうたわれて、庄司の家から程遠くない寺内にお早と勝次郎とが葬られた後、しぐれ雲のゆきかいする寒い日が幾日もつづいた。十一月のなかばになって、清水山で一匹の獣が生け捕られた。それは山卯の喜平と建具屋の茂八の罠《わな》にかかったのである。
喜平は番頭に叱られ、茂八は主人に叱られたのであるが、それが近所にも知れ渡って、自分たちが弱虫であるように云いはやされるのが、如何にも残念でならないので、どうかして自分たちをおびやかした獣の正体を見あらわしてくれようと、二人は相談の上でまた懲《こ》りずまに清水山探検を試みた。今度は獣を捕らえるのが目的であるので、かれらは魚と鼠を餌《えさ》にして、灌木と枯れすすきのあいだへ罠をかけておくと、三日目の夜に果たして四尺あまりの獣がその罠にかかった。獣は鼬《いたち》によく似たもので、黄いろい毛と長い尾を持っていた。おそらくは貂《てん》であろうと判断されたが、それほどの大きい貂は滅多《めった》にあるものではないというので、所詮は得体《えたい》のわからない一種の怪獣と見なされてしまった。そうして、清水山に怪異があるというのは、こんな怪獣が棲んでいる為であろうということになった。その正体を見とどけた喜平らは岩見重太郎の二代目とまでは行かなかったが、ともかくも弱虫の汚名《おめい》をすすぐことが出来たので、大手を振って町内を押しあるいた。怪獣のゆく末は説明するまでもない。かれは両国の見世物小屋に晒され、柳原の清水山に年を経たる九尾の怪獣の正体はこれでございとはやし立てられて、興行師のふところを余程ふくらませた。
唯ここに一つの疑問として残されているのは、池崎の中間どもが清水山に犬を入れて啣《くわ》え出させたという、かの怪しい箱の出所《しゅっしょ》である。これも恐らくは、かのお早の仕業であろうかと察しられるが、何分にもその実物をみないので何とも云えないと、半七老人はわたしに話した。かの貂に似た獣は昔からここに棲んでいたのか、それとも他《よそ》から入り込んで来たのか、それも判らない。中間どもの放した犬がこの怪しい獣を狩り出さないで、ほかの怪しい箱を啣え出して来たのも、不思議といえば不思議であった。
底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:しず
1999年12月3日公開
2004年3月1日修正
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