しの出入り場ですが、どうもそんな女のいる家はなかったようですね。尤《もっと》も、雑司ヶ谷だけは今度はじめて仕事に行ったんですが、顔に痣のある女……。そんな女は一度も見なかったと思います。それでも、まあ念のために若い者にきいてみましょう」
かれは門口《かどぐち》にあつまっている職人や小僧を呼んで、痣の女を詮議したが、だれもそんな女を知らないと云うので、半七は少し失望した。それでも雑司ヶ谷の仕事先について、棟梁や職人たちの知っているだけのことを残らず聞き取って帰った。帰る途中で、半七はきのうから今日にかけて探りあつめた種々の材料を、胸のなかでいろいろに組みあわせて考えた。そうして、それがどうにか順序よく組み立てられたように思われたので、かれの胸もだんだんに軽くなった。袋の物をつかむというまでには行かないでも、かれは爪先にころがっている物を見つけたぐらいの心持になった。
七
半七は家へ帰っていると、正午すぎになって子分の多吉が先ず帰って来た。かれは善八と手わけをして、ゆうべから日本橋二軒と深川一軒とを調べあげて来たのである。しかしその報告には半七の注意をひくほどの材料はなかった。
「いよいよ雑司ヶ谷だな」
こう思って待ちかまえていると、日の暮れる頃に善八が大いそぎで引き揚げて来た。かれは神田から雑司ヶ谷へまわったのである。神田の方は訳もなく埒があいたが、雑司ヶ谷の方は足場が悪いのと、少し面倒であったのとで、思いのほかに暇どれたと彼は云い訳らしく云った。
「そうだろうと思っていた」と、半七は待ち兼ねたように訊いた。「そこで早速だが、神田の方はあと廻しとして、まずその雑司ヶ谷の方から聞かしてくれ。その家《うち》は穀屋《こくや》で、桝屋とか云ったな」
「家号は桝屋ですが、苗字は庄司というんだそうで、土地の者はみんな庄司と云っています。土地では旧家だそうで、店の商売は穀屋ですが、田地《でんじ》をたくさん持っている大百姓で、店の右の方には大きい門があって、家の構えもなかなか手広いようです。店の方と畑の方とを合わせると、奉公人が四五十人も居るということです」
「奉公人のほかに家内は幾人いる」
「大家内の割合いに、家の者は極く少ないんです」と、善八は答えた。「主人は藤左衛門といって、もう六十ぐらいになる。女房は十年ほど前に死ぬ。子供は男二人と女ふたりで、惣領は奥州の方へ行って店を出している。次男は中国の方へ養子にやる。惣領娘は越後の方へ嫁にやる。家に残っているのはお早という妹娘だけで、これが二十六になるそうですが、なんだか身体が悪いとかいうので、去年あたりから内に閉じこもっていて、誰にも顔をみせないということです」
「そうすると、親子二人ぎりだな。その庄司の家には何か悪い筋でもあるという噂は聞かねえか」
「さあ、そんな噂は聞きませんでした。主人は慈悲ぶかい人だそうで、土地では庄司の旦那様といえば、仏さまのように敬っているようです。なにを訊《き》いてもいいことばかりで、悪い噂なんぞする者は一人もありませんよ。どれもこれも無駄らしゅうござんすね」
「いや、無駄でねえ」と、半七はほほえんだ。「もうこれでいよいよ極まった。勝次郎に逢いに来る女は、そのお早という二十六の娘に相違ねえ」
「そうでしょうか」と、善八は疑うように親分の顔をみつめた。
「だって、考えてみろ。それほどの大家《たいけ》でありながら、惣領息子を遠い奥州へ出してやるというのがわからねえ。次男も遠い中国へやる。惣領むすめも遠い北国へやる。大勢の子供をみんな遠国《おんごく》へ出してしまうというのは、なにか仔細がなければならねえ。その家《うち》には悪い病気の筋がある。おそらく癩病か何かの血筋を引いているのだろう。おやじは幸いに無事でいても、その子供たちは年頃になると悪い病いが出る。そこで、奥州へやったの、北国へやったのと云って、どこか知らねえ田舎に隠しているに相違ねえ。家にのこっているお早という娘が去年から悪いというのも、やっぱりそれだ。唯の病気ならば誰にも顔を見せねえという筋はねえ。人に見られねえように、どっかに隠れて養生しているんだろう。考えてみれば可哀そうなものだ」
「それにしても、そのお早という女が勝次郎に逢いに来たんでしょうか。それがまだわからねえ」
「わからねえことがあるものか」と、半七はまた笑った。「その女は顔に青い痣《あざ》があるというじゃあねえか。それはもう病気の発しているのを何かの絵具《えのぐ》で塗りかくして、痣のように誤魔化しているんだ。それだから相手の男をいつも清水山の薄暗いところへ連れ込んでいるんだろう。勝次郎は往来のまん中で不意にその女に出っくわしたように云っているが、どうもそうじゃあねえらしい。この六月から七月にかけて小ひと月ほども仕事に行っているあいだに、何かのはずみでお早という娘と出来あったに相違ねえ。女は男が恋しい一心で雑司ヶ谷からわざわざ逢いに来る。それを自分の家へ引き摺り込んでは近所となりの手前もある。女の方も例の一件だから、なるたけ薄暗いところがいい。そこでふたりが話しあって、むかしから人のはいらねえ清水山を出逢い場所にきめたんだろう」
「勝次郎は一件を知っているんでしょうか」と、善八は顔をしかめた。
「よもや知るめえ」と、半七も溜息をついた。「痣のあることは知っていたろうが、相手は大家の娘だ。あいつも慾に転んで引っかかったんだろう。悪いことは出来ねえもんだ。喜平や銀蔵をなぐった奴も雑司ヶ谷の奉公人だろう。大勢の奉公人のうちには忠義者があって、よそながら主人のむすめの警固に来ているらしい。甚五郎の床店へ髪を束《たば》ねに来たという二人連れの男が確かにそれだ。こう煎じつめて来ると、ゆうべ勝次郎を引っかついで行った奴も大抵わかる筈だ。お早と勝次郎の逢いびきは当人同士の勝手だが、世間を騒がすのはよくねえから、一応は叱って置かなけりゃあならねえ。殊に雑司ヶ谷の奴らが勝次郎をさらって行くなどとはよくねえことだ。科人《とがにん》をこしらえるほどの事でなくっても、これも叱って勝次郎を助けてやらなけりゃあ可哀そうだ」
「じゃあ、すぐに繰り出しましょうか」
「これから出かけると、夜がふけて何かの都合が悪かろう。まあ、あしたにしようぜ。世間のうわさがあんまり騒々しくなったのと、勝次郎の奴がこの頃だんだんぐらつき出したので、向うでも引っかついで行ってしまったんだろうから、なにも命を取るようなこともあるめえ。種さえあがれば、そんなに慌てなくてもいい」
あくる朝、半七は善八をつれて雑司ヶ谷へ出向いた。よもやと思うものの、相手は大家で大勢の奉公人がいるといい、近所の者もみな彼を尊敬しているようでは、どんな邪魔がはいらないとも限らないので、幸次郎と多吉も見え隠れにそのあとを追って行った。庄司の家はなるほど由緒ありげな大きい古屋敷で、門の前にはここらの名物の大きい欅《けやき》が幾本もつづいて高く立っていた。
主人に逢いたいと申し込むと、しばらくして二人は門内へ通された。庭には大きい池があって、そこには鴨の降りているのが見えた。池の岸には芒《すすき》の穂が白くそよいでいた。その池をめぐって、更に植え込みのあいだを縫ってゆくと、ふたりは離れ家のようになっているひと棟のなかへ案内された。座敷は十畳と八畳ぐらいの二た間つづきになっているらしかった。
ここで半七をおどろかしたのは、かの勝次郎の親方の大五郎が暗い顔をして、線香の煙りのなかに坐っていることであった。自分たちよりも先《せん》を越して、大五郎がここに来ていようとは、さすがに思いもよらなかった。それと向いあっているのが主人の藤左衛門で、服装《みなり》は質素であるが如何にも大家のあるじらしい上品な人柄で、これも打ち沈んでうつむいていたが、半七らをみて鄭重《ていちょう》に挨拶した。その挨拶が済むと、半七は先ず大五郎に声をかけた。
「一体、親方はどうしてここへ来なすった。わたし達も鼻を明かされてしまいましたよ」
「どう致しまして……」と、大五郎は小声で答えた。「けさ暗いうちに、こちらから迎いの駕籠がまいりましたので、何がなにやら判らずに参ったのでございます」
それにしても、線香の匂いがどこからか流れて来るのが半七の気になった。
「なんだか忌《いや》な匂いがしますね」
「それでございます。神田の親分さん、どうぞこれを御覧くださいまし」
藤左衛門が起って次の間の襖をあけると、そこには血みどろになった若い男と女の死骸がならべて横たえてあった。
「御免ください」
半七も起って行って、まずふたりの死骸をあらためた。男は左の頸筋から喉《のど》へかけて斜めに斬られていた。女も左の喉を突き破られていた。その枕もとには血に染みた一挺の剃刀《かみそり》が置かれてあった。
これで一切は解決した。
半七が想象していた通り、勝次郎の申し立てにはよほどの嘘がまじっていた。かれはこの夏、親方と一緒にこの家の仕事に通って来て、母屋《おもや》と台所の繕《つくろ》いをしていた。繕い普請といっても大家の仕事であるから、二十日あまりも毎日通いつづけているあいだに、彼は家の女中たちとも心安くなった。若い職人は若い女中と冗談などを云いあうほどに打ちとけた時、ある日の午《ひる》休みにお兼という女中が勝次郎を物かげによんで何事をかささやいた。勝次郎はいつの間にか家の娘のお早に見染められたのである。お早は顔や手足に青い痣があるので、今に縁談がきまらないでいる。それを承知で逢ってくれれば、娘から十両の金をくれるというのであった。年のわかい無分別と、もう一つには慾にころんで、勝次郎はとうとうそれを承知した。かれはお兼の手びきで、はじめてお早という娘に逢った。それは古い土蔵の奥で、昼でも薄暗いところであった。
そのうちに仕事が済んで、勝次郎はもう雑司ヶ谷へ通わなくなると、お早の方から追って来た。しかし長屋住居の男の家へ入り込むことを嫌って、いつもかの清水山で逢うことにしていた。それを父の藤左衛門に覚られて、きびしく意見を加えられたが、恋に狂っているお早はどうしても肯《き》かなかった。普通の娘の我がままや放埓《ほうらつ》とは訳が違うので、父には一種の不憫が出て、結局はそのなすがままにまかせていたが、娘ひとりを出してやることは何分不安であるので、児飼いからの奉公人ふたりを毎晩見えがくれに付けてやって、よそながらお早の身の上を警固させていた。喜平らをなぐり倒してその探検を妨げたのは、勿論かれらの仕業であった。
しかしこういう探検者があらわれて来るからには、迂濶に清水山へ通うのは危険であると、かれらは主人に注意した。お早にも注意した。それで一旦はその通い路を断《た》ったのであるが、お早の執着は容易に断ち切れなかった。かれは男恋しさに物狂おしくなって、あるときは庭の池へ身を沈めようとした。あるときは剃刀で喉を突こうとした。これには父も持て余したばかりか、片輪の子ほど可愛さも不憫さも弥増《いやま》して、かの奉公人ふたりと相談の上で、娘の恋しがる男を引っかついで来ることにした。土地の者からは仏さまのように敬われている藤左衛門も、わが子の愛には眼がくらんで悪魔の奴《やっこ》となり果てたらしい。忠義の奉公人どもは主人の心を汲み、娘の恋にも同情して、勝次郎が夜ふけて師匠の家から帰る途中を不意に取っておさえて猿轡《さるぐつわ》をはませ、用意して来た駕籠にぶち込んで、とどこおりなく雑司ヶ谷まで生け捕りにして来たのであった。半分は夢中でぼんやりしている勝次郎は、お早の居間と定められているこの離れ家へかつぎ込まれて、薄暗い行灯の下で青い痣にいろどられている女と差し向いになった。
それから後は、どうしたのか誰も知っている者はない。それでも虫が知らしたとでもいうのか、藤左衛門はなんだか一種の不安をいだいて、夜のあけないうちにそっとその様子をうかがいにゆくと、かれの眼に映ったのは生々《なまなま》しい血潮と若い二人の亡骸《なきがら》とであった。
ふたりはどうして死んだのか
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