った。
「いよいよ雑司ヶ谷だな」
 こう思って待ちかまえていると、日の暮れる頃に善八が大いそぎで引き揚げて来た。かれは神田から雑司ヶ谷へまわったのである。神田の方は訳もなく埒があいたが、雑司ヶ谷の方は足場が悪いのと、少し面倒であったのとで、思いのほかに暇どれたと彼は云い訳らしく云った。
「そうだろうと思っていた」と、半七は待ち兼ねたように訊いた。「そこで早速だが、神田の方はあと廻しとして、まずその雑司ヶ谷の方から聞かしてくれ。その家《うち》は穀屋《こくや》で、桝屋とか云ったな」
「家号は桝屋ですが、苗字は庄司というんだそうで、土地の者はみんな庄司と云っています。土地では旧家だそうで、店の商売は穀屋ですが、田地《でんじ》をたくさん持っている大百姓で、店の右の方には大きい門があって、家の構えもなかなか手広いようです。店の方と畑の方とを合わせると、奉公人が四五十人も居るということです」
「奉公人のほかに家内は幾人いる」
「大家内の割合いに、家の者は極く少ないんです」と、善八は答えた。「主人は藤左衛門といって、もう六十ぐらいになる。女房は十年ほど前に死ぬ。子供は男二人と女ふたりで、惣領は奥州の
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