「親分さん。大工の勝次郎がゆうべから帰らないそうです」
「勝次郎が……。ゆうべから……」
「そうです。ゆうべも町内の師匠のところへ行って、四ツ(午後十時)頃まで呶鳴って帰ったそうですが、けさになっても家へ帰らないんです。どこへか泊まりに行ったのかと思うんですが、長屋の人たちの話では、この頃めったに家《うち》をあけたことはないそうです」と、喜平は仔細らしくささやいた。
「それでも若い者のことだ。どこへ転げ込まねえとも限らねえ。まだ夜が明けたばかりだ。今にどこからか出て来るだろう」
「でも、親分。師匠のうちから半町ばかり離れたところに、勝次郎の煙草入れと草履が片足落ちていたそうです」
「そうか」と、半七は眉をよせた。「そいつは打っちゃっては置かれねえ」
 半七はとりあえず竜閑町の裏長屋へ行って、家主立ち会いで勝次郎の家を調べると、表の錠はおろしたままであった。その錠をこじあけてはいってみると、狭い家のなかは別に取り散らした様子もみえなかった。夜逃げをするならば何か持ち出しそうなものである。どこへか泊まりに行ったならば、往来に煙草入れや草履かた足を落してゆくのもおかしい。更に清元の師匠の
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