って銭をおいて行くんです」
「それがどう変なのだ」
「どうということもありませんが……。わたしも客商売で、毎日いろいろの人に逢っていますが、どうもその男の様子がなんだか変でしたよ」
「その男は今でも来るかえ」と、半七は煙草を吸いながらしずかにきいた。
「いや、それがまたおかしいんです。九月のなかば過ぎ、山卯の若い衆が清水山へ見とどけに出かけてから二、三日あとのことでした。その男がいつもの通りふらり[#「ふらり」に傍点]とはいって来て、わたしに髭を当らせていると、そこへまたほかの客がはいって来て、山卯の若い衆の噂をはじめると、その男は黙って聞いていたが、やがてにやり[#「にやり」に傍点]と忌《いや》な笑い顔をして、半分はひとり言のように、そんな詰まらないことをするものじゃあない。しまいには身を損《そこ》ねるようなことが出来《しゅったい》する……と。わたしはそれに相槌を打って、まったくそうですねと云いましたが、その男はなんにも返事をしませんでした。そうして、それっきり来なくなってしまったんです」
「それっきり来ねえか」
「それっきり一度も顔をみせません。ねえ。親分。なんだか変じゃありません
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