か。そいつは今も云う通り、色の黒い、骨太の、頑丈な奴でしたよ」
 喜平と銀蔵をなぐり倒した大きい手の持ち主はかの男ではないかと、甚五郎は疑っているらしかった。半七もそう思った。
「そいつは二人連れで来たこともあるんだね」
「ありますよ」と、甚五郎はうなずいた。「もう一人の男は少し若い三十二三ぐらいの、これはずっと小作りの男でした」
「商売の見当はつかないかね」
「さあ」と、甚五郎は首をかしげた。「どうも江戸じゃありませんね。まあ近在のお百姓でしょうかね」
「いや、ありがとう。いいことを教えてくれた。うまく行けば一杯買うぜ」
「どうも恐れ入りました。こんな話が何かのお役に立てば結構です」
 半七はここの店を出て、山卯の町内の自身番へ行ってみると、善八はまだ来ていなかった。定番《じょうばん》を相手に、囲炉裏《いろり》のそばでしばらく話していると、やがて善八は大工の勝次郎をつれて来た。勝次郎はまだ二十一か二で、色の青白い痩形の男で、見たところ、小機転の利いているらしい江戸っ子肌の職人ではあるが、度胸のすわった悪党でもないらしいことは、半七は多年の経験ですぐ察しられた。
「おい、御苦労」と、半七は勝次郎に声をかけた。「よくすぐに来てくれたな」
「親分さんの御用だということですから」と、勝次郎はおとなしく答えた。
 よく見ると、かれの顔はどことなく窶《やつ》れて、眼のうちも陰っていた。
「そこで早速だが、お前は柳原の清水山へ何しに行くんだ」
「いいえ、行ったことはございません。山卯の喜平どんに誘われましたが、どうも気が進まないのでことわりました」
「気が進まないなら、なぜ初めに自分の方から行こうと云い出したんだ。いやなものなら黙っていたらよさそうなもんだ。一旦行こうとしながら、中途で寝返りを打つばかりか、山卯の小僧に百の銭をくれて、仕事場の丸太をなぜ倒さした。そのわけが訊《き》きてえ。正直に云ってくれ」
「へえ」
 それに対して何か云い訳をかんがえているらしい勝次郎の頭の上へ、半七はつづけて浴びせかけた。
「一体おめえは妙な知りびとを持っているな。あの三十五六の色の黒い、骨太の男はなんだ」
 勝次郎は黙ってうつむいていた。
「それから三十二三の小作りの男……あんな奴らとなぜ附き合っているんだ」
 勝次郎は真っ蒼になってふるえ出した。
「もう何事もお上《かみ》の耳にはいっているんだ。じたばた[#「じたばた」に傍点]するな、往生ぎわの悪い野郎だ」
 半七に睨まれて、若い大工は骨をぬかれたようにへたばってしまった。
「さあ、なんとか返事をしろ。黙っているなら、おれの方からもっと云って聞かしてやろうか。だが、おれに口をきかせれば利かせるほど、貴様の罪が重くなるのだから、その積りでいろ。それともここらで素直に云うか」
 再び睨みつけられて、勝次郎はあわてて叫んだ。
「親分、堪忍してください。申し上げます、申し上げます」
 半七は善八に云いつけて、茶碗に水を入れて来て勝次郎の前に置かせた。
「さあ、水をやる。一杯のんで、気をおちつけて、はっきりと申し立てろ」
「ありがとうございます」と、勝次郎はふるえながらその水をひと口飲んだ。そうして、板の間に手をついた。
「こうなれば何もかも有体《ありてい》に申し上げますが、わたくしは決して悪事を働いた覚えはございません」
「うそをつけ」と、半七はまた睨んだ。「どうも強情な奴だな。じゃあ、おれの方からよく云って聞かせる。貴様が初手《しょて》から清水山へ行く料簡もなし、またなんにもうしろ暗いことがねえなら、初めから黙っている筈だ。脛《すね》に疵《きず》もつ奴の癖で、自分の方からわざと清水山へ行こうなぞと云い出したものの、もともとほんとうに行く気はねえんだから、喜平たちをおどかすために、小僧に頼んで丸太を倒させた。それでも喜平が強情に行くと云うので、今度は長屋に急病人が出来たなどといい加減な嘘をついて逃げてしまった……。やい、勝次郎。まだおれにしゃべらせるのか。世話を焼かせるにも程があるぞ」
「恐れ入りました」と、勝次郎は声をふるわせた。「親分のおっしゃることは一々図星でございます[#「ございます」は底本では「ごさいます」]。しかし親分、わたくしは清水山の一件に係り合いがあるには相違ありませんが、決して悪いことをした覚えはないのでございます。まあ、お聞きください。ことしの七月の末でございました。日が暮れてもなかなか残暑が強いので、涼みながら鼻唄で柳原の堤下を通りました。もうかれこれ五ツ半(午後九時)頃でしたろう。ふいと見ると、うす暗いなかに白地の浴衣を着ているらしい女がぼんやりと突っ立っているんです。しけ[#「しけ」に傍点]を食った夜鷹だろうと思って、からかい半分にそばへ寄って、何か冗談を云いかけると、その女はいき
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