きあげて、もう時分どきであるというので、孫十郎は近所の料理屋から酒肴を取り寄せてすすめた。そうして、かの仮面の一条をうちあけると、客はなかなか承知しなかった。これが唯の道楽であるならば、他にゆずり渡しても仔細ないが、自分は金春のお能役者で、芸道の上からかの仮面を手に入れたいと思うのであるから、折角ではあるが今さら手放すことは出来ないと云い切った。
それにも一応の理窟はあるので、孫十郎も当惑した。いろいろに押し返して口説《くど》いてみたが、客はかれの云うことを十分に信用しないらしく、屋敷の宝が紛失したの、侍が腹を切るのというのは、体《てい》のいいこしらえ事で、ほかに良い客をみつけた為に、そんな口実を作って自分の方を破談にする積りであろうと疑っているらしくみえた。彼はその武家に一度逢わせてくれとも云った。
逢わせてもいいのであるが、一方へ二十五両で売る筈であった仮面を、今度は百五十両に売り込もうとするのであるから、前後の買い手に対談させて、万一その秘密が発覚しては妙でないと思うので、孫十郎はなるべく両方を突きあわせたくなかった。かれは強《し》いてその客に酒をすすめて、だんだんに酔いのま
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