いたいというのである。この場合、二両や三両の金を惜しんでもいられないので、孫十郎は先《ま》ず三両の手付け金を返して、更にかの五十両に二十五両をそえて出すと、相手は初めて納得した。かれは振舞い酒をしたたかに飲んで、いい心持そうに帰った。
「忌々《いまいま》しい奴だ。能役者の道楽者には質《たち》のよくないのがあって困る」と、孫十郎は肚《はら》のなかで罵った。
 そうは云っても、悪くない商《あきな》いである。一旦は損をしたようでも、差引き百二十五両の儲けをみることになるので、孫十郎はやはり俺の運が向いて来たのだと窃《ひそ》かにほほえんでいると、そのあくる日になっても、かの武士は姿をみせなかった。二日、三日、四日と待ち暮らしても、彼からは何のたよりもなかった。まさかに腹を切った訳でもあるまい。かれが切腹したとしても、かの仮面がここの店にあることを知っている以上、誰かが代って受け取りにくる筈である。孫十郎は首を長くして毎日待ちわびていたが、どこからもそれらしい人は来なかった。もしや店の名を忘れたのではあるまいかと、孫十郎は再びかの仮面をとり出して、店さきの最も見易いところに懸けて置かせたが、それ
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