ねて声をかけた。
「これ、これ、いつまでもそんなことをしていると、お掛物が損じます。はずすならば、わたくしが手伝ってあげましょう」
「黙っていろ」と、かれは振り返って睨んだ。
 喜右衛門はこの時初めてかれの顔を正面から見たのである。茶坊主は左の眼ひとつであった。口は両方の耳のあたりまで裂けて、大きい二本の牙《きば》が白くあらわれていた。薄暗い灯のひかりでこの異形《いぎょう》のものを見せられたときに、五十を越えている喜右衛門も一途《いちず》にあっ[#「あっ」に傍点]とおびえて、半分は夢中でそこに倒れてしまった。
 暫くして、ようやく人心地がつくと、その枕元には三十五六の用人らしい男が坐っていた。かれは小声で訊《き》いた。
「なにか見たか」
 喜右衛門はあまりの恐ろしさに、すぐには返事が出来なかった。用人はそれを察したようにうなずいた。
「また出たか。なにを隠そう、この屋敷には時々に不思議のことがある。われわれは馴れているのでさのみとも思わぬが、はじめて見た者はおどろくのも道理《もっとも》だ。かならず此の事は世間に沙汰してくれるな。こういうことのある為か、殿さま俄かに御不快で休んでいられる
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