すこし崩れている床の間には、山水の掛物もかかっていなかった。三人はその座敷を出て、更に屋敷じゅうを見まわると、ほこりのうずたかく積っている縁側には大小の足あとが薄く残っていた。鼠の足跡もみえた。そのほこりの上を爪立ってゆくと、どの座敷も畳をあげてあったが、台所につづく六畳の暗い一と間だけには破れた琉球畳が敷かれていて、湿《しめ》っぽいような黴《かび》臭いような匂いが鼻にしみついた。半七は腹這いになって古畳の匂いをかいだ。
「松。おめえも嗅いでみろ。酒の匂いがするな」
 松吉もおなじく嗅いでみて、うなずいた。
「酒の匂いはまだ新らしいようですね」
「むむ。おめえは鼻利きだ。酒の匂いは新らしい。第一、これは女中部屋だ。ここで酒をのむ者はあるめえ。このあいだの奴らがここに集まっていたに相違ねえ。まあ、引窓《ひきまど》をあけてみろ」
 松吉に引窓をあけさせて、その明かりで半七は部屋じゅうを見まわした。押入れのなかも調べた。障子をあけて台所へも出た。沓《くつ》ぬぎの土間へも降りて見まわしているうちに、かれは何か小さいものを拾った。それを袂に入れて、半七はもとの座敷へ戻った。
「さあ、もう帰ろうか」
「もう引き揚げますかえ」と、松吉はなんだか物足らなそうに云った。
「いつまで化け物屋敷の番をしていてもしようがねえ。日が暮れると、また一つ目小僧が出るかも知れねえ」
 半七は笑いながらここを出た。途中で喜右衛門にわかれて、半七と松吉は裏路づたいにしずかに歩いた。
「おい、松。これはなんだか知っているか」と、半七は袂から出してみせた。
「へえ。こんなものを……。こりゃあ按摩の笛じゃありませんかえ」
「むむ。台所の土間に米のあき俵が一つ転がっていた。その下から出たのよ。痩せても枯れても旗本の屋敷で、流しの按摩を呼び込みゃあしめえ。あんなところに、どうして按摩の笛が落ちていたのか。おめえ、考えてみろ」
「なるほどね」
 松吉は首をひねっていた。

「これで一つ目小僧の正体はわかりましたよ」と、半七老人はわたしに話した。「初めは片目をなにかで隠しているのかと思いましたが、この笛を拾ったので又かんがえが変りました。松吉やほかの子分どもに云いつけて、江戸じゅうに片目の小按摩が幾人いるかを調べさせると、さすがは江戸で片目の按摩が七人いましたよ。そのなかで肩あげのある者四人の身許を探索すると、入谷《いりや》の長屋にいる周悦という今年十四歳の小按摩がおかしい。こいつは子供の時にいたずらをして、竹きれで眼を突き潰したので、片目あいていながら按摩になって、二十四文と流して歩いているうちに、馬道《うまみち》の下駄屋へたびたび呼び込まれて懇意になると、そこの亭主が悪い奴で、この小按摩を巧くだまし込んで、療治に行った家の物を手あたり次第にぬすませて、自分が廉《やす》く買っていたんです。そのうちに、この亭主が悪御家人と共謀して、あき屋敷を仕事場にすることになったんですが、自分の近所は感付かれる懸念《けねん》があるので、いつも遠い山の手へ行って仕事をしていました」
「その按摩も同類なんですね」
「しかし今までは、相手を玄関に待たせて置いて、その品物を裏門から持ち逃げしたり、相手がなかなか油断しないとみると、奥へ通して腕ずくで脅迫したりしていたんですが、人間というものは奇体なもので、いくら悪党でも同じ手段をくりかえしていると、自然に飽きて来るとみえて、相談の上で更に新手《あらて》をかんがえ出したのが怪談がかりの一件です。下駄屋の発案で、それにはこういう一つ目小僧の按摩がいるというと、それは妙だとみんなも喜んで、小按摩の周悦には下駄屋から巧く説得して、自分たちの味方にすることになったんですが、その周悦という奴は今では立派な不良少年になっているので、これも面白がってすぐ同意したというわけです。自体口が少し大きい奴なので、それから思いついて、絵の具で口を割ったり、象牙《ぞうげ》の箸を牙《きば》にこしらえたりしたんですが、周悦の家にはおふくろがあります。そのおふくろの手前、世間の手前、化け物のこしらえで家を出るわけには行きませんから、やはり商売に出るようなふうをして、杖をついて、笛をふいて、いつもの通りに家を出て、かの空屋敷の台所の六畳を楽屋にして、そこですっかり化けおおせた次第です。その時に周悦はふところに入れていた笛をおとしたのを、あとになって気がついたんですが、どこで落としたか判らないので、ついそのままにして置いたのを、運悪くわたくしに見つけられたんです。それからだんだん調べてみると、この小按摩は年に似合わず銭使いがあらい。近所の評判もよくない。そこで引き挙げて吟味すると、なんと云ってもそこは子供で、一つ責めると、みんな正直に白状してしまいました」
「そうすると、その下駄屋と御
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