おそらくこの混雑にまぎれて彼女を引っ攫《さら》って行った者があるに相違ないと鑑定した。神隠しばかりでなく、人攫いということも此の時代には多かった。半七は先ずこの人攫いに眼をつけたが、そうなると手がかりが余ほどむずかしい。初めからおていを狙っていたものならば格別、万一この混雑にまぎれて衣裳でも何でも手あたり次第に盗み出すつもりで、庭口からひそかに忍び込んだ人間が、偶然そこにいる美しい少女を見つけて、ふとした出来心で彼女を拐引《かどわか》して行ったものとすると、その探索は面倒である。しかし子供とはいいながら、おていはもう九つである以上、なんとか声でも立てそうなものである。声を立てれば其処らには大勢の人がいる。声も立てさせずに不意に引っ攫ってゆくというのは、余ほど仕事に馴れた者でなければ出来ない。半七は心あたりの兇状持ちをそれからそれへと数えてみた。
彼はそれから念のために庭へ降りた。庭と云っても二十坪ばかりの細長い地面で、そこには桜や梅などが植えてあった。垣根の際《きわ》には一本の高い松がひょろひょろと立っていた。彼は飛石伝いに庭の隅々を調べてあるいたが、外からはいって来たらしい足跡は見えなかった。横手の木戸は内から錠をおろしてあった。おていを攫った人間は表からはいって来た気配はない。どうしても横手の木戸口から庭づたいに忍び込んだらしく思われるのに、木戸は内から閉めてある。庭にも怪しい足跡の無いのを見ると、彼の鑑定は外《はず》れたらしい。半七は石燈籠のそばに突っ立って再び考えたが、やがて何心なく身をかがめて縁の下を覗いてみると、そこに奴すがたの少女が横たわっていた。
「おい、師匠、大和屋の旦那。ちょいと来てください」と、彼は庭から呼んだ。
呼ばれて縁さきへ出て来た二人は、半七が指さす方をのぞいて、思わずあっ[#「あっ」に傍点]と声をあげた。これに驚かされて大勢もあわてて縁先へ出て来た。おていの冷たい亡骸《なきがら》は縁の下から引き出された。
女や子供たちは一度に泣き出した。
何者がむごたらしくおていを殺して縁の下へ投げ込んだのか。おていの細い喉首《のどくび》には白い手拭がまき付けてあって、何者にか絞め殺されたことは疑いもなかった。その手拭は今度のお浚いについて師匠の光奴が方々へくばったもので、白地に藤の花を大きく染め出した藍《あい》の匂いがまだ新らしかった。
神隠しや人攫いはもう問題ではなくなった。これから舞台へ出ようとする少女を絞め殺したのは普通の物取りなどでないことも判り切っていた。大和屋一家に怨みをふくんでいる者の復讐か、さもなければこの少女に対する一種の妬《ねた》みか。おそらく二つに一つであろうと半七は解釈した。大和屋は質屋という商売であるだけに、ひとから怨みを受けそうな心あたりはたくさんあるかも知れない。親たちが金にあかして立派な衣裳をきせて、娘をお浚いに出したについて、ほかの子供の親兄弟から妬みをうけて、罪もない少女が禍いをうけたのかも知れない。どっちにも相当の理窟が付くので、半七も少し迷った。
なんと云ってもたった一つの手がかりは、おていの頸にまき付いている白い手拭である。半七はその手拭をほどいて丁寧に打ちかえして調べてみた。
「師匠。これはお前の配り手拭だが、きょうのお客さまは大抵持っているだろうね」
「めいめいというわけにも行きますまいが、ひと組に二、三本ずつは行き渡っているだろうかと思います」と、光奴は答えた。
「ここの家《うち》の人達にもみんな配ったかえ」
「はあ。女中さん達にもみんな配りました」
「そうか。じゃあ、師匠、すこし頼みてえことがある。まさかに俺が行って一々調べるわけにも行かねえから、お前これから二階へ行って、おまえが手拭を配った覚えのあるおかみさん達を一巡訊いて来てくれ」
「なにを訊いて来るんです」
「手拭をお持ちですかと云って……。娘や子供には用はねえ。鉄漿《かね》をつけている人だけでいいんだ。もし手拭を持っていねえと云う人があったら、すぐに俺に知らせてくれ」
光奴はすぐに二階へ行った。
「お話が長くなりますから、ここらで一足飛びに種明かしをしてしまいましょう」と、半七老人は云った。
「師匠はそれから二階へ行って、見物を一々調べたが、どうも判らないんです。尤《もっと》も師匠だって遠慮しながら調べているんだから埒《らち》は明きません。二階をしらべ、楽屋を調べても、どうも当りが付かないもんですから、今度はわたくしが自分で田原屋の女中を調べることになったんです。田原屋には四人の女中がありまして、その女中|頭《がしら》を勤めているのはおはま[#「はま」に傍点]という女で、三十一二で、丸髷に結って鉄漿《かね》をつけていました。これはここのうちの親類で、手伝いながら去年から来ていたんです。
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