》が気にくわない。こっちが判官で、あいつに窘《いじ》められるかと思うと忌《いや》になる」
 今度の狂言は「忠臣蔵」の通しで、師直と本蔵を使うのはかの吉田冠蔵であった。かたき同士の冠蔵を相手にして、三段目の喧嘩場をつかうのは紋作として面白くなかった。いっそ病気を云い立てにして今度の芝居を休んでしまおうと思っていた。
「でも、休んじゃ困るでしょう、この暮にさしかかって……」
「なに、どうにかなるさ」と、紋作は誇るように笑った。「芝居を一度や二度休んだって、まさかに雑煮《ぞうに》が祝えないほどのこともあるまい」
「そりゃあそうかも知れないわ。根岸の叔母さんが付いているから」と、お浜は口唇《くちびる》をそらして皮肉らしく云った。
 紋作が根岸の叔母をたずねて、ときどきに小遣いを貰ってくることをお浜は知っていた。しかしその叔母というのがなんだか怪しいものであった。お浜がいくら詮議しても、紋作が正直にその叔母の住所も身分も明かさないのをみると、どんな叔母さんだか判ったものではないと彼女はふだんから疑っていた。きょうもふと云い出したその忌味《いやみ》を、相手は一向通じないように聞きながしているので、
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