は、浄瑠璃の文句にもかまわずに前後左右を滅多《めった》やたら斬りまくった。兵助の刀は又もや水右衛門の真向《まっこう》を打った。冠蔵の方でも約束が違うのを咎めているような余裕はなかった。なんでも相手の人形を残酷に斬り伏せてしまわなければならないという一心で、無二無三に兵助を斬った。敵も味方も滅茶苦茶な立ち廻りのうちに、浄瑠璃の文句は終りを告げた。
「今夜のは、ありゃあなんだ」
 楽屋へはいると、冠蔵はすぐに紋作を責めた。紋作の方でも冠蔵の使い方がいつもとは違っていると云って、さかねじに食ってかかった。ゆうべの喧嘩が再びここで繰り返されそうになったのを、ほかのものどもが仲裁して今夜も無事に納めたが、その次の幕の済むあいだに兵助の人形の首は何者にか引き抜かれて、楽屋の廊下に投げ出されていた。無論に冠蔵の仕業であろうとは思ったが、その手証《てしょう》を見とどけたわけでもないので、紋作はじっと堪《こら》えてなんにも云わなかった。勿論、どの人形も自分のものではない。冠蔵も紋作も自分の人形をもっているほどの立派な人形使いではなかった。しかし自分がそれを扱っている以上、その人形の首をひき抜いて廊下に投げ出されたということは、自分の首を引き抜かれたように紋作はくやしく感じた。彼はその以来、殆ど冠蔵と口をきかなくなった。冠蔵の方でも彼を相手にしなくなった。かれらは実際に於いても、赤堀水右衛門と石井兵助とになってしまった。
 江戸へ帰った後も、彼等はむかしの親しい友達にはなれなかった。同じ商売でおなじ楽屋の飯を食っていながらも、水右衛門と兵助とは所詮かたき同士たるを免かれなかった。

     二

「紋作さん。なんだかいやに時雨《しぐ》れて来ましたね」
 十七八の色白の娘が結い立ての島田を見てくれというように、若い人形使いのまえに突き出した。紋作はまだ独身者《ひとりもの》で、下谷の五条天神から遠くない横町の、小さい小間物屋の二階に住んでいるのであった。
 その小間物屋から四、五軒さきに、踊りや茶番の衣裳の損料貸しをする家があって、そこで操《あやつ》りの衣裳の仕立てや縫い直しなどを請《う》け負《お》っていた。小間物屋の娘お浜も手内職にそこの仕事を手伝いに行っているので、そんな係り合いから紋作とも自然に心安くなって、お浜の母も承知のうえで自分の二階を彼に貸すことになったのであった。お浜の家では四年ほど前に主人をうしなって、今では後家のお直《なお》と娘との二人暮らしである。そこへ転がり込んだ紋作は年も若い、芸人だけに垢抜けもしている。したがって近所では彼とお浜とのあいだに、いろいろの噂を立てる者もあったが、母のお直がなんにも聞かない振りをしているのを見ると、ゆくゆくは娘の婿にする料簡であろうなどと、早合点にきめている者もあった。いずれにしても、お浜と紋作とは仲がよかった。
 紋作はすこし風邪《かぜ》をひいたというので、小さい長火鉢をまえにして、お浜にこの冬新らしく仕立てて貰った柔らかい広袖を羽織って坐っていた。かれは痩形のすこし疳持ちらしい、見るからに弱々しい男で、うす化粧でもしているかと思われるように、その若い顔を綺麗に光らせていた。お浜はその長火鉢の向うから彼の少し皺《しわ》めている眉のあたりを不安らしくながめた。
「ほんとうに気分が悪いの。振出しでも買って来てあげましょうか」
「なに、それ程でもないのさ」と、紋作は軽く笑った。
「でも、きょうもまた稽古を休むんでしょう。阿母《おっか》さんがさっきそんなことを云っていました」
「なにしろ、頭が重いから」と、紋作は気のないように云った。
「だからお薬をおのみなさいよ。初日前にどっと悪くなると大変だわ」
「悪くなれば休む分《ぶん》のことさ。今度の芝居はあまり気が進まないんだから、どうでもいい。いっそ休む方がいいかも知れない」
 十一月の末の時雨《しぐ》れかかった空はまた俄かに薄明るくなって、二階の窓の障子に鳥のかげが映った。お浜は長火鉢に炭をつぎながら呟いた。
「おや、鳥影が……。誰か来るかしら」
「誰か来るといえば、芝居の方から誰も来なかったかしら」
「いいえ、きょうはまだ誰も……」と、お浜は丁寧に炭をつみながら答えた。「定《さだ》さんの話に、おまえさんは今度は役不足だというじゃありませんか」
「役不足という訳じゃあない」と、紋作は膝の前の煙管《きせる》をひき寄せた。「旅へ出てならともかくも、江戸の芝居で、わたしに判官と弥五郎を使わせてくれる。役不足どころか、有難い位のものさ。だが、どうも気が乗らない。今もいう通り、今度の芝居はいっそ休もうかとも思っているんだ」
「なぜ」と、お浜は火箸を灰につき刺しながら向き直った。「あたし、おまえさんの判官がみたいわ。出使いでしょう」
「無論さ。だが、師直《もろのお
前へ 次へ
全9ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング