は云った。
それでも半七に釣り出されて、かれは根岸の叔母さんのことを話した。紋作は自分の叔母だと云っているが、それがどうも胡乱《うろん》である。そこからも時々に男の使がくると、お浜は妬《ねた》ましそうに話した。
「よし。あの定という野郎をここへ呼んでくれ」
お浜に呼ばれて降りて来た兎欠脣の定吉は、すぐに近所の自身番へ連れてゆかれた。半七は頭ごなしに叱り付けた。
「馬鹿野郎。いい年をしやあがって何だ。孫のような小阿魔《こあま》に眼じりを下げて、あげくの果てに飛んでもねえ刃物三昧をしやあがって……。途方もねえ色気ちげえだ。人間の胴っ腹へ庖丁を突っ込んだ以上は、鮪を料理《りょう》ったのとはちっとわけが違うぞ。さあ、恐れ入って白状しろ」
「親分。違います、違います」と、定吉はあわてて叫んだ。「憚りながらお眼違いです。わたくしが紋作を殺したなんて飛んでもねえことです」
「嘘をつけ。池の端の料理屋の門口《かどぐち》から、紋作はいるかと声をかけたのは手前だろう」
「違います、違います」と、彼はまた叫んだ。「そりゃあ私じゃあありません。十露盤《そろばん》絞りの手拭をかぶった若い野郎です」
「てめえはそれをどうして知っている」
定吉は少しゆき詰まった。かれは自分の寃罪《むじつ》を叫ぶために、飛んでもない事をうっかり口走ってしまったので、今さら後悔しても追っ付かなかった。かれは半七にその尻っぽを捉まえられて、とうとう恐れ入って白状した。
半七の想像通り、かれは自分の店へ手伝いにくるお浜のあどけない姿に眼をつけて、ときどきに小遣いなどをやって手なずけようとしていたが、お浜には紋作というものが付いているので、かれは兎欠脣の男などに眼もくれなかった。定吉はそれを忌々《いまいま》しく思っているうちに、その日は楽屋で紋作と衝突した。ふだんから彼に対する憎悪《にくしみ》が一度に発して、定吉はまさかに彼を殺すほどの料簡もなかったが、せめてその顔に疵でも付けてやろうと思って、料理屋の門口《かどぐち》に忍んで、その帰るのを待っていると、十露盤絞りの手拭をかぶった若い男がおなじくその門口にうろうろしていた。こっちでじろじろ視れば、向うでもじろじろ視る。なんだか工合《ぐあい》が悪いので、定吉は一旦そこを立ち去って、山下の屋台店で燗酒《かんざけ》をのんで、いい加減の刻限を見はからって又引っ返してくると
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