なったが、席はおのずと白らけて来て、談話《はなし》も今までのように弾《はず》まなかった。紋七が折角の心づくしも仇《あだ》になって、三人はなんだか気まずいような顔をして別れることになった。
四ツ(午後十時)すこし前に紋作と冠蔵の二人はここを出た。ふたりともに可なりに酔っていた。紋七はあとに残って今夜の勘定をして、それから店の帳場へ寄って、稼業柄だけに愛嬌ばなしを二つ三つして、おかみさんや女中たちを笑わせているところへ、頬かむりをした一人の男が店口へつい[#「つい」に傍点]とはいって来た。
「紋作はこっちに来ていますかえ」
「たった今お帰りになりましたよ」と、女中のひとりが答えた。
それを十分聞かないで、男は消えるように出て行った。それから又すこししゃべって、店では提灯を貸してやろうと云うのを断わって、紋七もほろよい機嫌でここを出ると、上野の山に圧《お》し懸かっている暗い空には星一つみえなかった。不忍《しのばず》の大きな池は水あかりにぼんやりと薄く光って、弁天堂の微かな灯が見果てもない広い闇のなかに黄いろく浮かんでいた。寒そうな雁《かり》の声も何処かできこえた。
「えろう寒うなった」
酔いも急にさめたように、紋七は首をすくめながら池の端の闇をたどってゆくと、向うから足早に駈けて来て彼に突きあたった者があった。あぶなく倒れそうになったのを踏みこらえて、また二、三間歩いてゆくと、今度はかれの足がつまずいたものがあった。それがどうも人間らしいので、紋七も不思議に思って、五段目の勘平のような身ぶりで暗がりを探ってみると、かれの手に触れたのは確かに人間であった。しかもぬるぬるとした生《なま》あたたかい血のようなものを掴《つか》んだので、かれは思わずきゃっ[#「きゃっ」に傍点]と声をあげた。
三
紋七が発見したのは男二人の死体であった。ひとりは紋作で、左の脇腹を刃物でえぐられていた。他のひとりは冠蔵で、左の耳の下を斬られ、左の胸を突かれ、まだそのほかにも幾ヵ所の疵《きず》を負っていた。
式《かた》の通りに検視がすんで、死体はそれぞれに引き渡されたが、その下手人については二様の意見があらわれた。紋七や一座の者どもの申し立てによって考えると、和解の酒盛りが却《かえ》って喧嘩のまき直しになって、酔っている二人は帰り途で格闘を演じ、結局相討ちになったのであろうという
前へ
次へ
全17ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング