てにして稽古にはいらないのを疑って、よそながらその様子を見とどけに来たのであった。来てみると、果たしてさのみの容態でもないらしいので、彼は紋作に意見した。たとい冠蔵と不和であろうとも、それがために芝居を怠っては座元にも済まない。自分のためにもならない。信州の旅興行には自分は一座していなかったから、どっちが理か非かよくは判らないが、ともかくも仲間同士が背中合わせになっているのはどっちのためにも悪い。冠蔵とは仲直りさせるように私がうまく扱ってやるから、きょうは我慢をして稽古にはいれ。まあ、なんにも云わずにこれから一緒に行けと、苦労人の紋七は噛んでふくめるように云い聞かせた。
 ふだんからいろいろの世話になっている兄弟子が、こうしてわざわざ足を運んで来て、親切に意見をしてくれるのである。その厚意に対しても、紋作は強情を張っているわけには行かなくなった。もともとさしたる病気でもないので、結局かれは紋七の意見にしたがって、すぐに支度をして稽古にはいることになった。ふたりはお浜親子に見送られて小間物屋の店を出た。
 楽屋へはいって、紋作はみんなと一緒に稽古にかかった。兄弟子が横眼でじろじろ視ているので、彼は気色《きしょく》のわるいのを我慢して冠蔵の師直と無事に打ち合わせをすませた。六段目までの稽古が済んで、もう討ち入りまでは用がないと、あとへ引きさがって煙草をすっていると、うしろから自分の腰を強く蹴って通るものがあった。楽屋がせまいので、大勢の人のうしろを通るのは窮屈に相違ないが、あまりに強く蹴られて紋作は勃然《むっ》とした。
「誰だい」
 振り返ってみると、それは衣裳をあつかっている定吉という者で、年はもう四十五六の、顔に薄あばたのある兎欠脣《みつくち》の男であった。かれはお浜の通っている衣裳屋の職人で、きょうも衣裳の聞き合わせのために楽屋へ来ているのであった。
「どうも済まねえ。なにしろ、この通り繍眼児《めじろ》のおしくらだからね」と、定吉は鼻で笑いながら云った。
 この挨拶の仕方が面白くないのと、故意に自分を強く蹴ったように思われたのと、冠蔵に対する不快を今までこらえていた八つあたりとで、紋作は素直に承知しなかった。
「こみ合っているならこみ合っているように、気をつけて通れ、むやみに人を蹴飛ばす奴があるものか。楽屋に馬を飼って置きゃあしねえ」
「馬とはなんだ。手前こそ馬と
前へ 次へ
全17ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング