えて来たという噂であった。
加賀屋の店も相当の身代《しんだい》であるから、別にその持参金に眼がくれたわけではなかった。お元は縁談のきまった時に、その親たちの云い込みには、何分ここらの片田舎では思うような嫁入り支度をさせて送ることも出来ない。もう一つには村でも最も古い家柄であるだけに、娘をよそへ縁付けるなどというといろいろ面倒な慣例《ならわし》もある。方々からも祝い物をくれる。又その返礼をする。それも其の土地に縁付くならば、どんな面倒な失費《ついえ》もよんどころないが、遠い江戸へ縁付けてしまうのに、そんな面倒をかさねるのはお互いにつまらない事であるから、さしあたっては行儀見習いの為に江戸の親類へ預けられるという体《てい》にして、万事質素に娘を送り出してしまいたい。勿論、江戸の方ではそういう訳には行くまいから、そちらで相当の支度をさせて儀式その他はよろしきように頼むというのであった。その頃の慣習として、嫁の里が相当の家であれば、たといそれが二十里三十里の遠方であっても、いわゆる里帰りに姑や聟も一緒に出かけて行って、里の親類や近所の人達にもそれぞれの挨拶をしなければならない。旅馴れないものが打ち揃って、江戸から熊谷まで出てゆくのは、ずいぶん厄介な仕事でもあるので、加賀屋の方でも却《かえ》ってそれを幸いに思って、先方の云い込みを故障なしに承諾した。お元は下谷《したや》の媒妁人《なこうど》の家に一旦おちついて、そこで江戸風の嫁入り支度をして、とどこおりなく加賀屋へ乗り込んだ。そういう事情で、豪家の娘が殆ど空身《からみ》同様で乗り込んできたのであるから、その支度料として親許から千両の金を送ってよこしたのも、別に不思議な事でもなかった。お元にはお鉄という若い女中が付いて来たが、それも珍らしいことではなかった。
お元がここへ縁付いてから、ただ一度その親たちと姉とが江戸見物をかねて加賀屋へ訪ねて来て一と月ほども逗留して帰った。才次郎とお元との夫婦仲も至極むつまじかった。彼女はおとなしい素直な生まれ付きであるので、姑《しゅうと》のお秀にも可愛がられた。店や出入りの者のあいだにも評判がよかった。附き添って来た女中のお鉄はことし十八で、それも主人思いの正直な女であった。こういうふうであるから、若夫婦の仲にまだ初孫《ういまご》の顔を見ることの出来ないのをお秀が一つの不足にして、そのほかに
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