暑さ以上に燃えて熱して、かれの魂は憤怒《ふんぬ》に焼けただれていた。かれは毎日のように長い手紙をかいて、それを妹に持たせてやって、男の妹の手から憎い男に突き付けさせていた。それほどに彼女の恨みの籠った手紙を、お直が不用意に取り落したと聞いて、お紋はむやみに怒った。一種の鬼女になっているような彼女は、噛みつくようにお直に食ってかかって、こんなことでは今までの手紙もたしかに兄さんにとどけてくれたかどうだか判らないなどと云った。それでもお豊の仲裁で、その方は先ずどうにか納まったが、一方の藤太郎が出て来ないのと、一方のお紋は半気違いのようになっているのとで、お豊が心配している肝腎の善後策は一向に要領を得なかった。彼女もこれには当惑して、お紋をなだめて待たせて置いて、再び藤太郎を呼び出しにゆくと、彼はまだ戻らないとのことであった。或いは隠れているのではないかとも疑ったが、しいて詮議もならないので其の儘むなしく帰ってくると、留守のあいだに大|椿事《ちんじ》が出来《しゅったい》していた。
 二階にはお紋の姉妹《きょうだい》とお豊の母とが黙って坐っていた。どの人の顔も真っ蒼になっていた。お豊は又おどろいて仔細をきくと、かれが出て行ったあとで、執念ぶかいお紋はお直にむかって、その兄に対する恨みを又さんざんに列《なら》べ立てた。それがだんだんに募って来て、わたしがこうして兄さんに捨てられたのも、おまえが蔭へまわって何か讒訴をしているからに相違ないと云い出した。それにはお直も黙っていなかった。彼女は持ち前の強情から飽くまでもそれを否認して、たがいに云い争っているうちに、お紋はいよいよ逆上して、いきなりにお直の胸倉を引っ掴んで小突きまわすと、どうしたはずみか彼女の喉を強く絞めて、十三の小娘はもろくも息が絶えてしまったのである。お豊もそれを聞いて呆気《あっけ》に取られた。よく見ると、まったく嘘ではない。お直は冷たい死骸となってそこに横たわっているので、お豊はあわてて出来るだけの介抱をした。水をのませても、水天宮様の御符《ごふ》を飲ませても、擦《さす》っても揺《ゆす》ぶっても、お直はもう正体がないので、彼女も途方にくれてしまった。
 こうなっては、とても自分ひとりの知恵や分別にはあたわないので、お豊は汗を流しながら再び倉田屋へかけ付けた。かれはお紋の母を呼び出して、そっとこの始末を訴えると、母もびっくりして半分は夢中で駈けて来たが、死んでしまったお直を生かす術《すべ》はなかった。表向きにすれば、お紋は無論に下手人である。この上はなんとかして此の事件を秘密に葬らなければならないと、母はお豊と額《ひたい》を突きよせて密談の末に、ようやく案じ出したのがお直の家出という狂言の筋書で、お力には母からよく云いふくめて、お直が途中からどこへか姿を隠したように甲州屋へ報告させてあった。師匠に当日叱られたということが、かれらに取ってはおあつらえ向きの材料で、お紋の母はそれから趣向をうみ出して、一個の狂言作者となりすましたのであった。
 それにしても、お直の死骸をどこへか処分しなければならないので、お豊は更にお紋の母と相談の上で、谷中《やなか》まで出て行った。そこに住んでいる石屋職人の千吉というのはお豊の叔父にあたるので、彼女は仔細をあかして死骸の始末をたのむと、千吉は慾に目がくらんで引き受けた。かれは日の暮れるのを待って、一挺の辻駕籠を吊らせて、駕籠屋の手前は病人のように取りつくろって、お直をそっと運び出して行った。
 これで万事解決したと思っていたが、お豊は壁にかけてある清書草紙を忘れていた。お力は帰るときに自分の草紙だけを持って行ったが、お直の分はそのままに残っていた。あまりに慌てていたのと、ふだんから草紙などというものに注意していないのとで、お豊は今朝《けさ》になってもその草紙には気がつかなかった。そうして、動かない証拠を半七に押えられたのであった。
 甲州屋の藤太郎は半七にむかって、お紋とのわけを正直に白状してしまった。二人が女髪結の家で出逢っていることも打ち明けた。しかし、そこの二階でこんな椿事が出来《しゅったい》していることを、彼は夢にも知らなかった。半七もさすがに思い付かなかった。たとい事情がどうであろうとも、人間ひとりが殺されては一大事である。なるべくはその死骸を片付けないうちに、石屋の千吉を取り押えてしまいたいと思ったので、彼はお豊を案内者として、すぐに谷中へ急いで行った。

「お話は先ずこれぎりです」と、半七老人は云った。「お直は生きていましたよ」
「生き返ったのですか」と、わたしは訊《き》いた。
「そうですよ。もとが女の手で喉《のど》を絞めたんですから、一時は息がとまっても、また生き返ったんです。駕籠にゆられて行く途中で自然に息を吹き返したのですが、駕籠屋は始めから病人だと思っているので、別に不思議にも思わなかったらしいんです。千吉はおどろいたんですが、まあともかくも自分の家まで連れ込ませて、駕籠屋を帰してしまいました。死んだ者が生きかえって、本来ならば喜ぶ筈なんですが、この千吉というのが良くない奴で、生かして帰してしまえば倉田屋からたんまりした礼金も貰えない。いっそ黙って何処へか売り飛ばして自分のふところを温めれば、一挙両得だという悪法を企《たくら》んで、お直には猿轡《さるぐつわ》をはませて戸棚のなかへ押し込んで置いたんです。そうして、倉田屋の方へは、その死骸を人の知らないところへ埋めたようなことを云って約束の礼金を貰い、その後も相手の弱味につけ込んで、時々ゆすりに行こうぐらいに考えていたんです。昔はこういう悪い奴が随分ありました。もうひと足おそいと、お直はどこかの山女衒《やまぜげん》の手に渡されて、たとい取り返すにしても面倒でしたが、いい塩梅《あんばい》にすぐに取り返してしまいました」
 お直が無事に戻って来たので、甲州屋では世間の手前をはばかって万事を内分にしたいと云った。倉田屋からも甲州屋の方へしきりに泣きついて来た。ほかの関係者はともかくも、千吉だけは免《ゆる》して置かれないと思ったが、かれを表向きに突き出せば関係者一同もその係り合いを逃がれられないので、半七は我慢して彼をも見逃がすことにした。それが動機となって甲州屋にはお紋という嫁が出来た。
 自分の弟子が救われたので師匠の山村小左衛門は半七のところへわざわざ挨拶に来た。かれは感謝の意を表するために、報恩額の三字を大きく書いた。甲州屋ではそれを立派な額に仕立てて半七に贈ったのであった。
「半七先生のいわれはこうですよ」
 老人は再び大きい声で笑った。わたしも釣り込まれて笑い出した。



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年5月15日11刷発行
※旺文社文庫版を元に入力し、光文社文庫版に合わせて校正した。この過程で確認した、両者の相違を示す。
・たなばたに供えるらしい素麺[#旺文社文庫版「たなばたに供えるらしい麦麺」]
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫
校正:藤田禎宏
2000年8月22日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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