通りくださいと案内した。
 二階は六畳と八畳のふた間で、藤太郎は表に向いた六畳に寝ていたらしいが、半七のあがって行った時には、もう起き直って蒲団《ふとん》のうえに行儀よく坐っていた。藤太郎はことし二十歳《はたち》の小柄の男で、いかにも病人らしい蒼ざめた顔をしていた。
「お早うございます」と、藤太郎は手をついた。「このたびはいろいろと御心配をかけて恐れ入ります」
「どこかお悪いそうですね」と、半七はかれの顔をのぞきながら云った。「なるほど、顔の色がよくないようだ、起きていてもいいのですかえ」
「こんな体《てい》たらくで失礼をいたします。たいした事でもございませんが、どうも暁方《あけがた》から頭が痛みまして……。あいにくの時でまことに困って居ります」
 医者に診《み》て貰ったかと訊くと、それほどのことでもないらしいので、差しあたりは店の薬を飲んでいると藤太郎は云った。芝に上手な占《うらな》い者《しゃ》があるので、母は朝からそこへたずねて行った。父は日本橋の親類へ相談に行った。妹のたよりが一向判らないので、家《うち》じゅうがゆうべから碌々に寝ないで騒いでいると彼は話した。
「そうすると、おまえさんは病気のよくなり次第に、越ヶ谷とかへ行くつもりですかえ」と、半七はまた訊いた。
「はい。ともかくも念晴らしに一度は行って来たいと思って居ります」
「きっと出かけますかえ」
「はい」
「およしなせえ、くたびれ儲けだ。路用をつかうだけ無駄なことだ」
「そうでございましょうか」と、藤太郎はすこし考えているらしかった。
「なにも首をひねることはねえ。出かけるくらいなら、今朝《けさ》なぜ直ぐに出て行きなさらねえ」
と、半七はあざ笑った。「仮病《けびょう》をつかって、家の二階にごろごろしていることはねえ。さっさと飛び起きて、草鞋《わらじ》をはく支度をするがいいじゃあねえか」
「いえ、決して仮病では……。唯今も申す通り、どうも寝冷えをいたしたとみえて、暁方《あけがた》から頭が痛みまして……」
「あたまの痛てえのはほかに訳があるだろう。倉田屋の姉娘を呼んで来て看病して貰っちゃあどうだね」
 藤太郎の顔の色はいよいよ蒼くなった。
「おまえさんは妹を使にして、倉田屋の娘と文《ふみ》のやりとりをしているだろう」と、半七は畳みかけて云った。
「倉田屋の娘もやっぱり自分の妹を使にしている。どっちの妹も稽古朋輩だから、それはまことに都合がいいわけだ。ここの妹がきのう雷師匠に嚇かされたのは、清書が不出来のせいじゃあねえ。稽古場で手紙を落としたからだ。男のか女のか知らねえが、それを向うへ渡そうとするのか、それとも向うから受け取ったか、どっちにしてもお前さんと倉田屋の姉娘とは係り合いを逃がれられねえ。さあ、今更となっていつまでも隠し立てをしているのは、よくねえことだ。親たちに苦労をかけ、家じゅうの者をさわがして、お前さんが仮病をつかって平気で寝てもいられめえじゃあねえか。いや、仮病はわかっている。どうで越ヶ谷へ行っても無駄だということを百も承知しているから、頭が痛えの、尻が痒《かゆ》いのと云って、一寸逃がれをしているのだ。おまえさんの顔の色の悪いのは病気じゃあねえ。ほかに苦労があるからだ。薄ぼんやりしている倉田屋の妹娘を引っ張り出して、あたまから嚇かして詮議すれば何もかも判ることだが、そんなことはしたくねえから、それでこうして膝組みでおまえさんに訊《き》くんだ。一体おまえさん達は今までどこで逢っていたんだ。どうで遠いところじゃあるめえ。真っ先にそれを教せえて貰おうじゃあねえか」
 藤太郎は蒲団のうえに手をついたまま、しばらく顔をあげなかった。その蒼ざめた額《ひたい》からは汗のしずくが糸をひいたように流れ落ちていた。

     四

 半七は甲州屋を出て、池《いけ》の端《はた》へ行った。近所で女髪結のお豊の家をきくと、すぐに知れて、それは狭い露路をはいって二軒目の小さい二階家であった。
 格子にならんだ台所で、三十三四の女が今夜のたなばたに供えるらしい素麺《そうめん》を冷やしていた。半七は近よって声をかけると、かれは主婦《あるじ》のお豊であった。ここに誰か倉田屋の人は来ていないかと訊くと、お豊は不安らしい眼をしてじろじろ眺めながら、誰も来ていないと冷やかに答えた。
「それでは、甲州屋さんから誰かまいって居りますまいか」
「いいえ」と、お豊はやはり無愛想に答えた。
「まったく来て居りませんでしょうか」
「来ていませんよ」と、お豊は煩《うる》さそうに云った。「一体おまえさんはどこから来たんです」
「甲州屋からまいりました」
 お豊は黙って半七の顔を見つめていると、半七はにやにや笑いながら云い出した。
「いえ、御心配なさることはありません。わたしは甲州屋の藤さんに頼まれて来たんです。倉田屋のお紋さんと藤さんが始終ここの二階へ来ることもみんな知っています。御存じだかどうだか知りませんが、甲州屋のなあ[#「なあ」に傍点]ちゃんが昨日《きのう》から家出をして今にゆくえが知れないので、家《うち》では大騒ぎをしているんです。藤さんが来る筈ですが、すこし加減が悪くって、けさから寝込んでいるので、わたしがその使をたのまれて来ました。なあ[#「なあ」に傍点]ちゃんは昨日から一度もここへ来ませんかしら」
「いいえ、一度もお見えになりませんよ」
 詞《ことば》づかいは余ほど丁寧になったが、彼女は見識らない使の男にたいしてやはり油断しないらしかった。
「もし、おかみさん、あの壁にかかっているのはなんですえ」と、半七は伸び上がってだしぬけに奥をゆびさした。
 残暑の強い朝であるから、そこらは明け放してあった。格子のなかの上がり口には新らしい葭戸《よしど》が半分しめてあったが、台所と奥とのあいだの障子は取り払われて、六畳くらいの茶の間はひと目に見通された。助炭《じょたん》をかけた長火鉢は隅の方に押しやられて、その傍には古びた箪笥が置いてあった。それにつづいた鼠壁には、どこからかの貰いものらしい二、三本の団扇《うちわ》が袋に入れたままで逆《さか》さに懸かっていた。
「あの団扇ですかえ」と、お豊は奥を見かえった。
「いいえ、あの団扇の隣りに懸かっているのは……。あれはなんですえ。お草紙《そうし》のようですね」
「うちの子供のお草紙です」
「ちょいと持って来て、見せてくれませんか」
「お草紙をどうするんですよ」
「どうしてもいい、用があるから見せろと云うんだ」と、半七は少し声をあらくした。「強情を張っていると、おれが行って取ってくる」
 草履をぬいで台所から上がろうとすると、お豊はさえぎるように起ちあがった。
「おまえさん。人の家《うち》へむやみにはいって来て、どうするんですよ」
 半七はつかつかと茶の間へ踏み込んで、団扇のとなりに懸けてある一冊の清書草紙を手に取った。
「今聞いていれば、うちの子供のお草紙だと云ったな。嘘つき阿魔《あま》め。ここの家にどんな子がいる。猫の子一匹もいねえじゃあねえか。六十幾つになるつんぼの婆さんとおめえの二人っきりだということは近所で訊《き》いて知っているぞ。第一この草紙の表紙になんと書いてある。庚戌《かのえいぬ》、正月、なお……このなお[#「なお」に傍点]というのはだれの名だ。世間におなじ名はあっても、ここでこの草紙を見つけた以上は云い抜けはさせねえ。甲州屋のむすめの手習い草紙がどうしてここに懸けてあるんだ。仔細をいえ。わけを云え」
 お豊は唖《おし》のように突っ立っていると、半七は片手に草紙を持ちながら、かた手で彼女の腕をつかんだ。
「婆はどこへ行った」
「近所へ買物に出ました」と、お豊は口のなかで答えた。
「そんなら二階へ案内しろ」
 彼女を引き摺るようにして、せまい掛け階子《ばしご》をのぼってゆくと、二階の四畳半には誰もいなかった。半七は念のために押入れをあけて見た。古い葛籠《つづら》をゆすってみた。
「まあ、坐れ」と、かれは再びお豊の腕をつかんで、四畳半のまんなかに引き据えた。「これ、正直に云え。さっきは甲州屋の使と云ったが、御用で調べるのだ。甲州屋のお直はきのうここへ来たか」
 草紙を眼のさきに突きつけられて、お豊はもう包み切れなくなった。かれは恐れ入って白状した。甲州屋のお直はここの家へ来たのである。きのうの午《ひる》頃にお豊が得意場から帰ってくると、途中で倉田屋の娘と甲州屋のむすめが二人連れで来るのに逢った。お直はしきりに泣いているのを、お力がなだめているらしかった。どちらも自分の得意場の娘であるので、お豊は見すごし兼ねて立ち寄って、もしや喧嘩でもしたのではないかと訊《き》くと、お直が師匠さんに叱られたのであると判った。それもほかのことで叱られたとあれば、お豊もいい加減になだめて別れるのであったが、お力から渡されたお紋の手紙を稽古場で取り落して、それを雷師匠に見つけられたのであると聞いて、お豊もすこし驚いた。
 甲州屋の息子と倉田屋の姉娘とのあいだには、半七が睨んだ通りの関係が結びつけられていた。親たち同士は単に口さきの軽い話ぐらいに過ぎなかったが、若いもの同士は更に深入りをして、おなじ手習い師匠にかよう双方の妹がいつも文《ふみ》づかいの役目を勤めさせられていた。女髪結のお豊は一種の慾心から時々自分の二階をお紋と藤太郎とに貸していた。こういうわけで、お豊もこの事件に係り合いがあるだけに、秘密の手紙を師匠に見つけられたと聞いて顔色をくもらせた。相手は名代《なだい》のかみなりであるから、おそらくこのままでは済ませまい。お直が怪しい手紙を隠し持っていたということを、甲州屋の親たちに一応通知するかも知れない。そうして、二人の秘密が発覚したあかつきには、その取り持ちをした自分も当然その係り合いを逃がれることは出来ない。双方の親たちからやかましい掛け合いをうけた上に、二軒の得意場をうしなうのは知れている。しかも彼女が現在住んでいる池の端の裏屋は甲州屋の家作《かさく》であるから、ここもおそらく追い立てられるであろう。そればかりでなく、そんな噂が世間にひろまれば、自分の信用はひどく傷つけられて、更に幾軒の得意場を失うかも知れない。あるいは此の土地で稼業が出来ないようになるかも知れない。それからそれへと考えてゆくと、お豊はなかなか落ち着いていられなくなった。
 なにしろ往来ではどうにもならないというので、彼女はともかくもお力とお直を自分のうちへ連れて行って、二人の娘の持っている清書草紙を下の壁にかけて置いて二階へ通した。お豊は更にお紋と藤太郎をよんで来て、なんとか善後策を講ずるつもりで、すぐ甲州屋へ行ってみると、息子はあいにく留守であった。倉田屋の店には娘がいたので、お豊はそっと呼び出してささやくと、お紋もおどろいて一緒に出て来た。
 女髪結の家の二階で、お紋は自分の妹とお直に逢った。かれはお直の不注意を激しく責め立てた。それが雷師匠に輪をかけたかとも思われるほど凄まじい権幕《けんまく》であるので、お豊は又びっくりした。しかしそれにはわけのある事で、お紋がこの頃すこしく取りのぼせているらしいことをお豊も内々知らないではなかった。若い同士の秘密を知らない甲州屋では、今度ある媒妁口《なこうどぐち》に乗せられて、倉田屋の話は忘れたように、よそから藤太郎の嫁をもらうことになった。気の弱い息子は正面からそれに反対する勇気もなくて、ただ内々で苦しんでいるうちに、その縁談はすべるように進行し、近々|結納《ゆいのう》を取りかわすまでに運ばれて来たので、それを知ったお紋は決して承知しなかった。かれは男の不実をはげしく責めて、一体わたしというものをどうしてくれるのだとせまったが、男の挨拶がとかくに煮え切らないので、お紋は焦《じ》れて怨んで、この頃ではなんだか半病人のようになっていた。
 倉田屋の親たちも無論に怒っていた。しかし自分の娘と藤太郎との関係がそんな峠まで登りつめているとはさすがに気がつかないで、いたずらに蔭口《かげぐち》を云うくらいですごしていたが、若い娘の胸の火はこの頃の
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