っている。店の若い衆が二人と小僧が三人、ほかにはお広という老婢《ばあや》と、おすみという若い下女がいる。店がかりは派手でないが、手堅い商売をして内証も裕《ゆたか》であるらしい。親類たちのあいだにも面倒が起ったという噂も聞かない。したがって今度のお直の家出も、内輪の事情からではないに決まっていると、お粂は保証するように云った。
「そうか」と、半七はまだ考えていた。「だが、おめえばかりの話じゃあ判らねえ。ともかくも甲州屋へ行ってみよう」
「ああ、すぐに来てください」
 お粂は兄をうながして表へ出ると、暑いと云っても旧暦の七月の宵はおいおいに更《ふ》けて、夜の露らしいものが大屋根の笹竹にしっとりと降《お》りているらしかった。

     二

 甲州屋へ行って、お直の親たちにも逢ったが、お粂が持ってきた報告以外の新らしい事実を、半七はなんにも探り出すことが出来なかった。どの人の意見もお粂と同様で、短尺の不出来と師匠の叱言《こごと》とが気の小さい娘をどこへか追いやったのであるということに一致していた。半七も先ずそう考えるよりほかはなかった。
 越《こし》ヶ谷《や》の方に甲州屋の親類があって、お直は母につれられて一度行ったことがあるので、よもやとは思うものの、兄の藤太郎が店の者をつれて、あしたの早朝に越ヶ谷へ訪ねてゆくことになっている。甲州屋に取っては、それがおぼつかない一縷《いちる》の望みであった。娘が家出のことは無論、町《ちょう》役人にも届けて置いた。両国や永代《えいたい》の川筋へも人をやって、その注意を橋番にもたのんで置いた。甲州屋としては、もうほかに施《ほどこ》すべき手だてもないので、半七は今更なんの助言をあたえようもなかった。しかし明日《あした》になったならば、子分の者どもに云いつけて、せいぜい心あたりを探させてみることを約束して、半七はもう四ツ(午後十時)頃、甲州屋を出ると、まだ半町も行き過ぎないうちに、あとから息を切って追ってくるものがあった。
「もし、親分さん、三河町の親分さん」
 女の声らしいので、誰かと思って立ち止まると、それは甲州屋のばあやのお広で、かれはあわただしくささやいた。
「親分さんに少し内々《ないない》で申し上げて置きたいことがございますが……。旦那やおかみさんは滅多《めった》にそんなことを云っちゃあならないと云っているのですが、どうも黙って居
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