それが一種の学年試験のようなもので、師匠は一々それを審査して、その成績の順序を定めるのであるから、子供ごころにも競争心がないでもない。上位の方に択《よ》り出されたといえば、その親たちも鼻を高くするのである。きょうはその大清書の日で、甲州屋のお直も紅い短尺に何かの歌を書かされたのであるが、それがひどく出来がわるいというので師匠の小左衛門から叱られた。
 お直は手習いの成績はよい方であったが、今度はどうしたものか非常に出来が悪かったので、笹竹のずっと下の方にかけられた。ここの師匠は成績の順序で色紙《いろがみ》をかけるので、第一番のものは笹竹の頂上にひるがえっていて、それから順々に、下枝におりて来るのであった。お直は自分の短尺が同年の稽古朋輩のなかでも甚だしく下の方にかけられてあるのを見て、さっきからもう泣き声になっていたところを、更に師匠からきびしく叱られたので、彼女はとうとう声をあげて泣き出した。師匠の御新造《ごしんぞ》がさすがに気の毒がって、泣いているお直をなだめて帰してやったが、一人で帰すのはなんだか心もとないので、お力《りき》という近所の娘を一緒につけて出すと、お直は途中で不意にお力のそばを離れて横町へ駈け込んだまま姿を見うしなってしまった。それはきょうの午頃《ひるごろ》のことで、お直はそれぎり自分の店へも戻らないのであった。
 お粂がそれを知ったのは夕方のことで、もしやこちらにお直は来ていないかと甲州屋から聞きあわせに来たので、だんだんその仔細を訊《き》いてみると、それが手習いの帰りにゆくえ不明となったことが初めて判った。殊に前に云ったような事情があるだけに、お粂も一種の不安を感じて、日が暮れてから甲州屋をたずねると、お直はまだ帰らないとのことであった。親たちも心配して、親類や友達などの心あたりを方々聞きあわせたが、彼女はどこへも立ち廻った形跡はなかった。
 稽古帰りに無断でよそへ廻るなどは、今までかつて例のないことであると、甲州屋では云っていた。念のために師匠のところへも報《し》らせてやると、小左衛門の御新造のお貞もおどろいて駈けつけて来たが、どの人もただ心配するばかりでどうする術《すべ》も知らなかった。こうしているうちに時刻はだんだんに過ぎてゆくので、人々の不安はいよいよ募《つの》って来た。この場合、兄をたのむよりほかはないと思ったので、お粂はそのわけを人
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