朋輩だから、それはまことに都合がいいわけだ。ここの妹がきのう雷師匠に嚇かされたのは、清書が不出来のせいじゃあねえ。稽古場で手紙を落としたからだ。男のか女のか知らねえが、それを向うへ渡そうとするのか、それとも向うから受け取ったか、どっちにしてもお前さんと倉田屋の姉娘とは係り合いを逃がれられねえ。さあ、今更となっていつまでも隠し立てをしているのは、よくねえことだ。親たちに苦労をかけ、家じゅうの者をさわがして、お前さんが仮病をつかって平気で寝てもいられめえじゃあねえか。いや、仮病はわかっている。どうで越ヶ谷へ行っても無駄だということを百も承知しているから、頭が痛えの、尻が痒《かゆ》いのと云って、一寸逃がれをしているのだ。おまえさんの顔の色の悪いのは病気じゃあねえ。ほかに苦労があるからだ。薄ぼんやりしている倉田屋の妹娘を引っ張り出して、あたまから嚇かして詮議すれば何もかも判ることだが、そんなことはしたくねえから、それでこうして膝組みでおまえさんに訊《き》くんだ。一体おまえさん達は今までどこで逢っていたんだ。どうで遠いところじゃあるめえ。真っ先にそれを教せえて貰おうじゃあねえか」
 藤太郎は蒲団のうえに手をついたまま、しばらく顔をあげなかった。その蒼ざめた額《ひたい》からは汗のしずくが糸をひいたように流れ落ちていた。

     四

 半七は甲州屋を出て、池《いけ》の端《はた》へ行った。近所で女髪結のお豊の家をきくと、すぐに知れて、それは狭い露路をはいって二軒目の小さい二階家であった。
 格子にならんだ台所で、三十三四の女が今夜のたなばたに供えるらしい素麺《そうめん》を冷やしていた。半七は近よって声をかけると、かれは主婦《あるじ》のお豊であった。ここに誰か倉田屋の人は来ていないかと訊くと、お豊は不安らしい眼をしてじろじろ眺めながら、誰も来ていないと冷やかに答えた。
「それでは、甲州屋さんから誰かまいって居りますまいか」
「いいえ」と、お豊はやはり無愛想に答えた。
「まったく来て居りませんでしょうか」
「来ていませんよ」と、お豊は煩《うる》さそうに云った。「一体おまえさんはどこから来たんです」
「甲州屋からまいりました」
 お豊は黙って半七の顔を見つめていると、半七はにやにや笑いながら云い出した。
「いえ、御心配なさることはありません。わたしは甲州屋の藤さんに頼まれて来たんで
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