ているが、これも近所では評判のいい家《うち》であると庄太は云った。殊にこの家は尾張屋よりも身代が大きいので、妹娘には婿を取って分家させる筈になっているのであるから、果たして素直《すなお》に尾張屋へくれるかどうだか判らないとのことであった。
「そうか」と、半七はうなずいた。「じゃあ、三河屋へ手をつけるにも及ぶめえ。すぐに尾張屋のおかんという女を引き挙げろ」
「尾張屋の女中を引きあげるのですかえ」
「むむ。あの女がどうも胡乱《うろん》だ。年は幾つで、どんな女だ」
「おかんは二十三で、五年まえから奉公しているんだそうですが、ちっとも江戸の水にしみねえ女で、どうみても山出しですよ」
「おかんは日光、重吉は宇都宮、おなじ国者《くにもの》だな。女は二十三、男は二十一。よし、わかった。おれも一緒に行く。すぐにその女を番屋へ連れて来てくれ」
二
尾張屋のおかんは町内の自身番へよび出されて、半七の吟味をうけた。かれは庄太の報告の通り、見るから田舎者らしい。小太りに肥《ふと》った女であるが、容貌《きりょう》もまんざら悪くはない。殊に色白の質《たち》であるので、二十三という年よりも若くみえた。ふだんから無口の女であるということであったが、殊にこの場合、かれは極めて神妙にして、いかなる問いに対しても努めてことば寡《すく》なに答えていた。
「六月二十三日の晩、尾張屋の娘が雷火にうたれた時、おまえが一番さきに見つけたのだな」
「はい」
「その時に、雷獣のかけ廻るのを確かに見たか」
「はい」
「女の癖に、どうして一番さきに駈け付けた」
「土蔵のまえが急にぱっと明るくなりまして、かみなり様がお下《お》りになったようでしたから、なにか間違いでもないかと存じまして……」
「で、行ってみたらどうした」
「お朝さんと重吉さんが倒れていました」
「倒れているところに、なんにも落ちていなかったか」
「気がつきませんでした」
「鼠捕り粉がこぼれていなかったか」と、半七は訊いた。
「いいえ、存じません」
「おかん」と、半七は詞《ことば》をすこしやわらげた。「おまえは重吉をどう思っている」
おかんは黙っていた。
「重吉が可愛くなかったか」と、半七はほほえんだ。「おまえは給金を幾らほど溜めている」
おかんはやはり黙っていたが、半七に催促されて、小声で答えた。
「五両ばかり溜めて居ります」
「五両じゃあ、国へ帰っても夫婦になれめえな」
彼女はまた黙ってしまったが、その俯向《うつむ》いている鬢《びん》の毛の微かにそよいでいるのが、半七の眼についた。
「おい、おかん。もうこうなったら、何もかも正直に申し立ててお上《かみ》の慈悲をねがえ。おまえと重吉とはおなじ国者だ。それが一つ屋根の下に毎日一緒に暮らしていれば、おたがいに気も合い、話も合って、若い者同士がいろいろの約束をするのも無理はねえ。だが、男という奴は気の多いもので、おまえというものを袖にして、いつか尾張屋の娘とも仲よくなって、さぞ口惜《くや》しかったろう。おれも察しるよ」
おかんはやはり俯向いていた。
「ところが、おれに少し判らねえ事があるから教えてくれ」と、半七は云った。「尾張屋の娘はなぜ鼠捕り粉を買ったのだ。ひとりで死ぬつもりか、心中《しんじゅう》かえ。おい、黙っていちゃあいけねえ。それに因っておまえの罪の重い軽いも決まるのだ。はっきり云ってくれ。どの道おまえは無事に主人の家《うち》へ帰られる身の上じゃあねえ。くどいようだが、正直に申し立てて御慈悲を願うがいいぜ」
「どうしても家へは帰れないのでございましょうか」と、おかんは蒼ざめた顔をあげた。
「知れたことさ。重吉という男ひとりを殺して置いて、無事に帰される筈がねえじゃねえか」
おかんは泣き伏してしまった。
雷獣事件はこれで解決した。
万事が半七の鑑定通りであった。重吉はおかんと夫婦約束をしていながら、さらに尾張屋のお朝とも親しくなった。それを知って、おかんは火のように怒って、恋のかたきのお朝を殺してしまうとまで狂い立つのを、重吉はひそかに宥《なだ》めているうちに、お朝はいつか妊娠したらしいので、重吉はいよいよ困った。その秘密をまた知って、おかんは嫉妬の焔《ほむら》をいよいよ燃《も》した。世間しらずのお朝は、いたずらの罰が忽ち下されたのに驚いて、自分のからだの始末を泣いて重吉に相談した。おかんもかげへまわって男の薄情をはげしく責め立てた。
お朝には泣かれ、おかんには責められ、板挟みになってさんざん苦しんだ重吉は、途方にくれた自棄《やけ》半分の無分別から、お朝を説きつけて、一緒に死ぬことになった。お朝は素直に男のいうことを肯《き》いて、近所の薬屋から鼠捕り粉を買って来た。それは六月二十三日の朝であった。今夜、いよいよ死ぬという約束で、影のう
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