の道は蛇の一件ですから、この空屋敷が草深くなっていて、この頃は蛇がたくさんに棲んでいることを知っていたんですが、たとい空家になっていても、ともかくも表門裏門を閉め切ってある武家屋敷へむやみに踏み込むわけにも行かないので、何とかして蛇を表へ釣り出す工夫《くふう》をかんがえて、ひと束の髪の毛をつかんでその屋敷へ出かけて行ったんです。嘘かほんとうか知りませんが、女の髪の毛を焼くと其の油の臭いを嗅ぎつけて蛇が寄ってくるという伝説があるので、九助は塀の外で髪の毛を焼きはじめると、塀の中から大小の蛇がぞろぞろと出て来た。それはこっちの思う壷なんですが、なにしろたくさんの蛇が塀の下を、くぐったり、塀の上を登ったりして、果てしも無しにぞろぞろと繋がって出てくるので、さすがの九助もびっくりして、いくら商売でも気味が悪くなって来て、燃えさしの髪の毛をほうり出して一目散に逃げてしまったそうです。九助の話によると、そこら一面が蛇にうずめられて、往来が川のようになってしまったといいますが、怖いと思う眼で見たんだから的《あて》にはなりません。
そういうわけで、九助もあとの事は知らないんですが、往来の人たちが見つけた時には、それほどの蛇もいなかったそうです。それでもたくさんの蛇がその髪の毛を取りまいて、うず高くなるほどに盛りあがっていたのは、みんなも見たということですから、まあ間違いはないでしょう。そこで、その娘とそれを殺した奴との探索ですが、これはすぐに判りまして、二日ほど経ってから、おもよとお大という二人の若い女を渋谷で引き挙げました。殺されたのはおとくという女で、おもよとお大がその下手人《げしゅにん》でした」
風はひとしきり吹き過ぎて、風鈴の音はまた鎮まった。老人は檐《のき》の方へ眼をやって、「又あつくなる」と、独り言のように云った。
「暑くなりそうですね」と、わたしも云った。
「ええ、降りそこなってしまいましたから……。このあとはきっと蒸《む》します。かないません」
「そこで、その女たちは何者です。まったく武家の娘なんですか」
「なに、みんな小商人《こあきんど》や職人の娘で、おとくは十四五の小娘につくっていましたが、実はかぞえ年の十七で、あとの二人も同じ年頃でした。こいつらは今日《こんにち》でいう不良少女で、肩揚げのおりないうちに自分たちの親の家を飛び出して、同気相求むる三人が一つ仲間になって、万引や巾着切《きんちゃっき》りや板の間稼ぎなどをやっていたんですが、下町《したまち》の方でだんだんに人の眼について来たので、このごろは武家の娘らしい姿に化けて、専ら山の手の方を荒しあるいていたんです。ところで、その当日、三人が連れ立って新屋敷を通りかかると、例の蛇の一件で大勢の人があつまっている。三人もそれを覗いているうちに、お大が小声でこんなことを云い出したそうです。
『どんな玉が這入っているか知らないが、あの蛇の中へ手を突っ込むことは出来まいね』
『なに、訳《わけ》はないよ』と、おとくは平気で笑っていた。
『おまえさん、きっと出来るかえ』と、お大とおもよが念を押すと、おとくはきっと出来ると強情を張ったので、いわば行きがかりの意地ずくで、もしお前がほんとうにあの蛇のなかへ手を突っ込んで見せたらば、おまえをあたし達の仲間の姐御《あねご》にすると二人が云い出すと、おとくはすぐに出て行って、平気で蛇のとぐろのなかへ手を突っ込んで、例の切髪をつかみ出したので、なんにも知らない見物人は勿論、仲間の二人は流石《さすが》にびっくりしたんですが、人に覚《さと》られないようにみんな分かれ分かれにそこを立ち去ったので、誰も三人連れとは気がつかなかったんです。しかし見物人が蛇の方に気をとられている油断を見すまして、三人ながらそれぞれに巾着切りを働いていたというんですから、抜け目のないこと驚きます。
おとくは掴み出した切髪を途中の川へ捨ててしまって、そこで自分の手を洗って、さてそれから二人にむかって、さあ約束通りにこれから自分を姐御にするかと云い出すと、おもよとお大は忌《いや》だと云う。それでは約束が違うと云う。不良少女三人はさんざん口ぎたなく云い合いながら、その晩はまず無事に帰ったんですが、あくる日も又それで喧嘩をはじめて、おとくがそんならお前も蛇を掴んでみろ、いくら口惜《くや》しがってもあたしの真似は出来まいと云うと、こっちの二人も行きがかりで、何の、あたし達だって掴んでみせると云う。なにしろお転婆《てんば》同士だから堪まりません。三人はその晩、また出直してあの空屋敷の門前へ忍んで来たんですが、きのうの蛇は勿論いる筈はないので、そんならこの屋敷の庭へ忍び込んで、見つけ次第に蛇をつかまえるということになって、三人はどこから這入ろうかと窺っているうちに、お大はおとくの隙をみ
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