を持ったままで何処へか行ってしまいました。
大勢はそれに気を呑まれた形で、ただ黙ってその娘のうしろ姿をながめているばかりでした。いくら武家の娘だと云って、まだ十四か十五の小娘が蛇のあつまっているなかへ腕を突っ込んで、平気でなにか掴み出して行く。その度胸のいいのにみんな舌を巻いて、一体あれはどこの家の娘さんだろうと云ったが、誰も確かに知っているものがない。又あの切髪は誰のだろうと云ったが、それも判らない。みんなもその評定《ひょうじょう》に気をとられている間に、たくさんの蛇はどこへか消えてしまったように影も形もみえなくなったので、みんな又おどろいたが、もうその頃はそこらも薄暗くなって来たので、よく判らない。多分そこらの溝へでも這入ってしまったか、空《あき》屋敷の庭へでも這い込んだろうということになって、見物人は次第に散ってしまったのですが、なにしろ、それが蛇と小娘と切髪と、不思議な三題|噺《ばなし》が出来あがっているので、その晩のうちにその噂が新宿から青山の方まで一面にひろまってしまいました。
『その娘は何者だろう。その娘とその切髪とどういう因縁があるのだろう』
こうした噂が繰り返されて、それに又いろいろの想像説も加わって、見て来たような作り話を吹聴《ふいちょう》する者もある。一体その空屋敷というのは、以前は内藤右之助という三百石取りの旗本が住んでいたのですが、二年ほど前から小石川の茗荷谷《みょうがだに》の方へ屋敷換えになって、今では誰も住んでいないので、門のなかは荒れ放題、玄関さきまで夏草が茫々と生いしげっているというありさま。……昔は方々にこういう空屋敷があって、化け物屋敷だなどと云われたものです。……その門前にあたかもこんな事件が出来《しゅったい》したので、猶更《なおさら》いろいろの風説が高くなって、なにかその屋敷にも関係があるように云い触らすものが出て来たので、町奉行所の方も捨てて置かれなくなって、一応その詮議をしようかと云っていると、ここに又一つの事件が出来《しゅったい》したんです。
その事件は次の日の夜のうちに起ったのでしょう。仲町通りのあき屋敷の門前、丁度かの蛇がとぐろをまいていたあたりに一人の娘が倒れているのを、暁方《あけがた》になって見つけ出したので、近所ではまた大騒ぎになりました。しかもその娘は一昨日《おととい》のゆう方、そこで蛇のとぐろのなかへ手を突っ込んだ武家娘に相違ないというので、騒ぎはいよいよ大きくなりました。娘は刃物で左の胸と右の脇腹を突かれて、血まぶれになって死んでいる。それだけでも随分大騒ぎになりそうなところへ、おまけに例の一件が絡《から》んでいるんですから、みんな不思議がるのも無理はありません。
こうなると、いよいよ捨てては置かれなくなって、町奉行所でも探索をはじめることになりました。その役目を云い付かったのはわたくしで、善八という子分をつれて、すぐに新屋敷へ出かけました。大木戸|外《そと》の事件ですけれど、事柄がすこし変っているので、特に町方《まちかた》から選み出されたようなわけで、わたくしも役目のほかに幾らかの面白味も手伝って、すぐにそこへ出張って行って、まず近所の人たちに聞きあわせると、前に云った通りの始末で、娘は何者だか判らないで、まだ誰にも引き渡すことが出来ないということでした」
あたまの上の風鈴が忙がしく鳴り出したので、半七老人は檐《のき》をみあげた。
「おや、風が出ましたね。空の色も悪くなって来た。又ゆうべの出直しかも知れませんね。はは、大丈夫。この頃は滅多にゆうべのような雷は鳴りませんよ。なに、雷獣でも出て来たら、二人で取っ捉《つか》まえて金儲けをしまさあ。はははははは。だが、まあ、こっちへ引っ越しましょう。だしぬけにざっと来るかも知れませんから」
わたしも手伝って、座蒲団や煙草盆を畳の上に運び込んだ。
四
「これでいい」と、老人は又おちついて話し出した。
「わたくしは先ず辻番へ行って、そこに引き取られている娘の死骸をみせて貰いました。それからだんだんと訊《き》いてみると、その蛇の一件の最中に、油断して紙入れや莨入《たばこい》れを掏《す》り取られた者もあるという。それで先ず大体の見当はつきましたが、蛇と切髪の方がまだよく判りません。蛇はともかくも、その切髪の理窟が呑み込めないので、わたくしは不図《ふと》かんがえて、この近所で蛇捕りを商売にしている者を探しました。蛇《じゃ》の道は蛇《へび》というのはまったく此の事かも知れませんね。ははははは。子分の善八がそこらを駈けまわって、新宿の裏に住んでいる九助という蛇捕りを探し出しました。蛇や蝮《まむし》を捕るのを商売にする男で、それを連れて来て詮議すると、九助はわけも無く白状しました。
九助は商売で、前に云った蛇
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