懸命の仕事です。いや、その隠密についてこんな話があります。これは今云った悲劇喜劇のなかでは余ほど毛色の変った方ですから、自分のことじゃありませんけれど、受け売りの昔話を一席弁じましょう。このお話は、その隠密の役目を間宮鉄次郎という人がうけたまわった時のことで、間宮さんはこの時二十五の厄年《やくどし》だったと云います。それから最初におことわり申しておくのは、このお話の舞台は主《おも》に奥州筋ですから、出る役者はみんな奥州弁でなければならないんですが、とんだ白石噺《しらいしばなし》の揚屋のお茶番で、だだあ[#「だだあ」に傍点]やがあま[#「があま」に傍点]を下手にやり損じると却《かえ》ってお笑いぐさですから、やっぱり江戸弁でまっすぐにお話し申します」
文政四年五月十日の朝、五ツ(午前八時)を少し過ぎた頃に、奥州街道の栗橋の関所を無事に通り過ぎた七、八人の旅人がぞろぞろ繋《つな》がって、房川《ぼうかわ》の渡《わたし》(利根川)にさしかかった。そのなかには一人の若い旅絵師がまじっていた。渡し船は幾|艘《そう》もあるので、このひと群れは皆おなじ船に乗り込んで、河原と水とをあわせて三百間という
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