人と供の男とは手を合わせて彼を拝んだ。船頭は乗合一同にひどくあやまって、ともかく向う岸まで船を送り着けた。
 娘はさのみに弱ってもいなかった。そのころは五月であるから凍《こご》えることもなかった。渡し小屋で濡れた単衣《ひとえ》を着かえて、彼女は父と供の男とに介抱されながらしばらく休んでいるうちに、旅絵師は娘の無事を見とどけて、自分も着物を着かえて、そのまま行こうとすると、大切な娘の命を助けられたそのお礼がまだ十分に云い足りないというので、老人はしきりに彼を抑留《ひきと》めた。娘だけを駕籠に乗せて、自分たちは近い宿《しゅく》まで一緒にあるいて行って、老人はある立場《たてば》茶屋の奥座敷へ無理にかの旅絵師を誘い込んで、ここであらためて礼を云った上で酒や肴《さかな》を彼にすすめた。
 老人は奥州の或る城下の町に穀屋《こくや》の店を持っている千倉屋伝兵衛という者であった。年来の宿願《しゅくがん》であった金毘羅《こんぴら》まいりを思い立って、娘のおげんと下男の儀平をつれて、奥州から四国の琴平《ことひら》まで遠い旅を続けて、その帰りには江戸見物もして、今や帰国の途中であると話した。この時代に足弱《あしよわ》と供の者とを連れて奥州から四国路までも旅行をするというのは、よっぽど裕福の身分でなければならないことは判り切っていた。伝兵衛はもう六十と云っていたが、身の丈《たけ》も高く、頬の肉も豊かで、見るから健《すこや》かな、いかにも温和らしい福相をそなえた老人であった。
 旅絵師も自分のゆく先を話した。かの芭蕉の「奥の細道」をたどって高館《たかだち》の旧跡や松島塩釜の名所を見物しながら奥州諸国を遍歴したい宿願で、三日前のゆうぐれに江戸を発足《ほっそく》して、路草を食いながらここまで来たのであると云った。
「それはよい道連れが出来ました」と、伝兵衛は喜ばしそうに云った。「唯今申す通り、わたくし共も長の道中をすませて、これから奥州の故郷へ帰るものでございます。足弱連れで御迷惑かも知れませんが、これも何かの御縁で、途中まで御一緒においでなされませんか」
「いや、御迷惑とはこちらで申すこと、実はわたくしも奥州道中は初旅で、一向に案内が知れないので、心ぼそく思っていたところでございますから、御一緒にお連れくだされば大仕合わせでございます」
 相談はすぐに決まって、山崎|澹山《たんざん》とみずから
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