み込んでじっと窺っていると、槍と刀とは空《くう》を突き、空を撃って、暗い座敷を二、三度流れたが、おげんの悲鳴を聞きつけて表の店から誰か駈けてくるらしい足音におどろかされて、槍と刀は早くも庭先に消えてしまった。澹山はそっと壁がわをはなれて、縁側に出て耳をすますと、凍《こお》っている雪を踏み散らしてゆく足音が生垣の外へ遠くきこえた。
「先生、どうなされましたか」
 暗いなかで呼びかけたのは、おげんの兄の伝四郎の声であった。
「あかりを早く……」と、澹山は小声で云った。「娘御が怪我をされたらしい」
 伝四郎は無言で引っ返したが、やがて店の者三、四人と共に、手燭をかざして再び駈け付けると、その火に照らされた座敷の内には、行燈が倒れていた。茶碗や土瓶がころげていた。襖の紙にも槍の痕と刀傷が残っていた。その狼藉をきわめたなかに、若い娘は血に染みて横たわっているのを一と目見て、伝四郎は思わず声をあげた。
「妹。おげん……しっかりしろ」と、かれは妹を自分の膝のうえに抱きあげて叫んだ。
「先生……」と、おげんは微かに云った。
「わたくしはここにいます」
 澹山はおげんの眼のまえに顔を出した。その顔をうっとりと見つめているうちに、彼女のからだは兄の膝からぐったりと滑《すべ》り落ちた。少し風邪をひいたと云って早寝をしていた伝兵衛が、眼をさましてここへ駈け付けた頃には、おげんの息はもう絶えていた。委細の事情を澹山から聞いて、彼は娘の死に顔を悲しげに眺めていたが、やがて何を考えたか、いたずらに恐怖の眼をみはっている奉公人どもの方に振り向いた。
「先生に少しお話がある。伝四郎だけはここに残って、皆はしばらく店の方へ行っていろ」
 彼等を追い遠ざけて、伝兵衛は澹山のまえに坐り直した。その顔は弁天堂の前で彼にマリアの絵像を頼んだときと同じように、なんとなく人を威圧するようなおごそかなものであった。
「先生、あなたの御身分は決して他人に洩らすまいと、神にも誓って置きながら、今夜のようなことが出来《しゅったい》いたしましては、定めてわたくしを偽り者ともお憎しみでござりましょうが、これには別に仔細がござります。今夜の闇討ちはおそらく先生の御身分を知ってのことではござりますまい。これは用人の荒木頼母がせがれ千之丞の仕業に相違あるまいと、わたくしは睨んで居ります」
 千之丞はかねて千倉屋の娘に懸想《けそう》
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