うと》でないことを半七も認めた。
「そこで、ここの家《うち》でお駒と一番仲のいいのは誰だえ」
「お駒さんは誰とも美しく附き合っていたようですが、一番仲好くしていたのはお定《さだ》という下新造《したしん》のようでした。お定はちょうど去年の今頃からここへ来た女で、お駒さんとは姉妹《きょうだい》のように仲好くしていたということです。それですからお定は今朝から飯も食わずにぼんやりしていますよ」
「じゃあ、そのお定をちょいと呼んでくれ」
 眼を泣き腫《は》らしたお定が店口へおずおずと出て来た。お定は二十五六で、色のあさ黒い、細おもての力《りき》んだ顔で、髪の毛のすこし薄いのを瑕《きず》にして、どこへ出しても先ず十人なみ以上には踏めそうな中年増《ちゅうどしま》であった。半七からお駒の悔みを云われて、かれは涙をほろほろとこぼしながら挨拶していた。
「お前はお駒と大変仲好しだったというが、今度の一件について何か思い当ることはねえかね」
「親分さん。それがなんにもないんです。わたくしはまるで夢のようで……」と、お定はしゃくりあげて泣き出した。
「そりゃあ困ったな。お駒の枕もとに何か張子の虎のようなものが置いてあったというが、そりゃあほんとうかえ」
 お定は黙って泣いていると、与七はそばから代って答えた。
「ありました。小さい玩具《おもちゃ》のようなもので、それは御内証にあずかってあります。お目にかけましょうか」
「むむ、見せて貰おう」
 半七はあがり口に腰をおろすと、与七は一旦奥へ行ったが又すぐに出て来て、ともかくもこちらへ通ってくれと招じ入れた。奥へ通ると、主人夫婦は陰《くも》った顔をそろえて半七を迎えて、かの張子の虎というのを出してみせた。虎は亀戸《かめいど》みやげの浮人形のたぐいで、背中に糸の穴が残っていた。半七はその小さい虎を手のひらに乗せて、その無心にゆらぐ首をしばらくじっと眺めていたが、やがてそれを膝の前にそっと置いて、煙草を一服しずかに吸った。
「この虎はお駒の物じゃあないんですね」
「お駒の部屋にそんな物はなかったようです」と、主人は答えた。「お駒に限らず、この二階じゅうで誰もそんなものを持っていた者はないと申します。どこから誰が持って来たのか、一向にわかりません」
「ふうむ」と、半七も首をかしげた。「だが、これは大切な品だ。これがどんな手がかりにならねえとも限りませんから、どこへかしっかり預かって置いてください」
「大切におあずかり申して置きます」
 それから与七に案内させて、半七は二階中をひと廻り見てあるいた。表二階から裏二階へまわって、お駒の部屋も無論にあらためた。部屋は三畳と六畳との二間《ふたま》つづきで、六畳の突き当りは型のごとく※[#「木+靈」、第3水準1−86−29]子窓《れんじまど》になっていた。去年の暮あたりに手入れしたらしい※[#「木+靈」、第3水準1−86−29]子はそのままになっていて、外から忍び込んだ者があるらしくも見えなかった。それでも念のために窓から表をのぞくと、伊勢屋の店は海側で、裏二階の下はすぐに石垣になっていた。品川の春の海はちょうど引き潮で、石垣の下には潮に引き残された瀬戸物の毀《こわ》れや、粗朶《そだ》の折れのようなものが乱雑にかさなり合って、うららかな日の下にきらきらと光っていた。
 遠目《とおめ》の利く半七は※[#「木+靈」、第3水準1−86−29]子に縋《すが》ってしばらく見おろしているうちに、なにを見付けたか急に与七を見かえって訊いた。
「お駒の草履は何足《なんぞく》あるね」
「二足ある筈です」
「それはみんな揃っているかえ」
「揃っている筈です」
「そうか。いろいろ気の毒だが、今度は裏口へ案内してくれ」
 裏梯子を降りて裏口へまわって、半七は石垣の上に立った。かれは足の下をもう一度みおろして、それから石段を降りて行った。なにをするのかと与七は上からのぞいてみると、半七はうず高い塵芥《ごみ》のあいだを踏み分けて、大きいごろた石のかげから重ね草履の片足を拾い出した。かれは湿《しめ》った鼻緒をつまみながら与七にみせた。
「おい、よく見てくれ。こりゃあお駒のじゃあねえか」
「さあ」と、与七は覗きながら考えていた。
「親分さん」
 上から呼ぶ声がするので見あげると、お定も二階の※[#「木+靈」、第3水準1−86−29]子《れんじ》から覗いていた。
「お前もこの草履を知っているか」と、半七は下から声をかけた。
「待ってください。今そこへ行きますから」
 お定は※[#「木+靈」、第3水準1−86−29]子のあいだから姿を消したかと思うと、やがて、裏口へ廻って来て、その草履をひと目見るとすぐに又泣き出した。
「これはお駒さんのです。あの人がわたくしに一度見せたことがあります。それはお駒さんが大切にしまって置いた草履です」
「むむ、あれか」と、与七[#「与七」は底本では「半七」]もうなずいた。「なるほど、そうです。きっと、あのときの草履でしょう」
 それは室積藤四郎が石原の松蔵を召し捕ったときに、お駒が二階から投げつけた草履であると、二人は代るがわる説明した。奉行所から御褒美を賜わって稀代の面目を施したお駒は、一生の宝としてその草履を大切に保存して置いた。お定の話によると、お駒はそれを水色|縮緬《ちりめん》の服紗《ふくさ》につつんで、自分の部屋の箪笥の抽斗《ひきだし》にしまって置いたのを、去年の暮の煤掃《すすはき》の時にうやうやしく持ち出して見せたことがある。それは随分穿き古したもので、女郎の重ね草履といえばどれもこれも一つ型であるが、鼻緒の摺《す》れ工合などに確かに見おぼえがあるとお定は云った。
「だが、まあ念のためにお駒の部屋を調べてくれ」
 半七は二人を連れて再び裏二階へあがって行った。お駒の部屋にはたった一つの箪笥がある。その四つ抽斗の二つ目の奥から水色縮緬の服紗だけは発見されたが、草履は果たして紛失していた。何者かがその草履をぬすみ出して、※[#「木+靈」、第3水準1−86−29]子窓から海へ投げ込んだに相違ないとは、誰でも容易に想像されることであるが、半七が発見したのはその片足で、ほかの片足のゆくえは判らなかった。
「たびたび気の毒だが、もう少し手伝ってくれ」
 与七を下へ連れ出して、半七は彼にも手伝わせて石垣の下を根《こん》よく探しまわったが、草履の片足はどうしても見付からなかった。おおかた引き潮に持って行かれたのであろうと、与七は云った。そうかも知れないと半七も思った。片足は大きい石のかげに支《つか》えていたために引き残された。そんなことがないとも云えないと思いながら、半七の胸にはまだ解け切らない一つの謎が残っていた。しかし、もうこの上には詮議のしようもないので、かれは鼻緒のゆるみかかった草履の片足を与七に渡して帰った。
「これも何かの役に立つかも知れねえ。しっかりとあずかって置いてくれ」

     三

「草履の片足はとんだ鏡山《かがみやま》のお茶番だが、張子の虎が少しわからねえ」
 半七は帰る途中で考えていたが、それから番屋へ行って聞きあわせると、下総屋の番頭吉助はなにを調べられても一向に知らぬ存ぜぬの一点張りで押し通しているのと、かれのふだんの行状が悪くないということが確かめられたのとで、ひと先ず主人預けとして下げられた。名代《みょうだい》部屋に寝ていた他の二人も、やはり主人あずけで無事に下げられたとのことであった。
 あくる日、半七は八丁堀へ出向いて、きのう取り調べただけの結果を報告すると、藤四郎はなるべく早く調べあげてくれと催促した。半七は承知して帰って、子分の多吉をよんで何事かを耳打ちすると、多吉は心得てすぐに出て行った。
 それから三日目である。花どきの癖で、長持ちのしない天気はきのうの夕方からなま暖かく陰《くも》って、夜なかから細かい雨がしとしと[#「しとしと」に傍点]と降り出した。早起きの半七がまだ顔を洗っている明け六ツ(午前六時)前に、伊勢屋の与七が息を切ってたずねて来た。
「親分、又いろいろのことが出来《しゅったい》しました」
「与七さんか。早朝からどうしたんだ。まあ、こっちへあがって話しなせえ」
「いえ、落ち着いちゃあいられないんです」と、与七は上がり框《がまち》に腰をおろしながら口早にささやいた。「ゆうべの引け四ツから、けさの七ツ(午前四時)頃までのあいだに、家《うち》のお浪というのが駈け落ちをしてしまったんです」
「お浪というのはどんな女だ」
「お駒の次で、三枚目を張っている女です。ふだんから席争いでお駒とはあんまり折り合いがよくなかったようですが、お駒の方が柳に受けているので、別にこうという揉め捫著《もんちゃく》も起らなかったんです。そのお浪が急に姿をかくしたには何か訳があるんだろうから、とりあえず親分にお報らせ申せと主人が申しましたので……。それにもう一つおかしいことは、主人が確かにおあずかり申した筈の張子の虎、あれも何処へか行ってしまったんです。いや、張子の虎が自然にあるき出す筈はないんですが、誰が持ち出したものか、影も形もなくなってしまったんです」
「一体どこへしまって置いたんだろう」
「ほかの品と違って、まあ、早く云えばお駒の形見《かたみ》のようなものだというので、御仏壇に入れて置いたんだそうです」
「仏壇か。悪いところへ入れて置いたものだ」と、半七は舌打ちした。「が、まあ仕方がねえ。そこで、それはいつ頃なくなったんだ」
「それが判らないんです。なにしろきのうの夕方までは確かにあったというんですから、その後になくなったものに相違ないんです」
「なるほど」と、半七は眉を寄せた。「そこで、そのお浪という女には悪い足でもあるのかえ」
「どうも確かな見当が付かないんですが、ふだんから少し病身の女で、勤めがいやだと口癖に云っていました。けれども時が時で、おまけに張子の虎がなくなっているもんですから、なんだかそこがおかしいので……」
「まったくおかしい、なにか訳がありそうだ。ほかにはなんにも紛失物はないんだね」
「ほかには何もないようです」
「よし、判った。それもなんとか手繰《たぐ》り出してやろうから、主人によくそう云ってくれ」
「なにぶん願います」
 与七は雨のなかを急いで帰った。材料はいつも三題噺《さんだいばなし》のようになる。重ね草履と張子の虎とお浪の駈け落ちと、この三つの材料を繋《つな》ぎあわせて、半七はしばらく考えていた。商売上の妬《ねた》みか、又はなにかの遺恨で、お浪がお駒を絞め殺したと仮定する。宿場《しゅくば》かせぎの女郎などは随分そのくらいのことは仕兼ねない。相手を殺して素知らぬ顔をしていたが、なにぶんにも気が咎めるので、とうとう居たたまれなくなって逃げ出した。それも随分ありそうなことである。しかし張子の虎が判らない。お浪が何のためにそれを盗み出したか。この理窟が考え出せない以上は、謎はやはりほんとうに解けないのであった。
 午過ぎになって、多吉がきまりの悪そうな顔を見せた。かれの探索は半七の註文通りになかなか運ばないのであるが、その一部だけはどうにかこうにか洗い上げて来て、親分の前へ報告した。
「いや、御苦労。それで大抵あたりは付いたが、もうひと息のところだ。踏ん張ってやってくれ」と、半七は更になにかの注意を彼にあたえて帰した。
 日が暮れるころに半七は伊勢屋へゆくと、お定は入口に立っていた。
「今晩は」と、かれは半七を見るとすぐに挨拶した。
「とうとう降り出したね」と、半七は傘のしずくを払いながら云った。「お浪がまた駈け出したというじゃあねえか」
「ほんとうにいろいろのことが続くので、なんだか忌《いや》な心持でなりません。家《うち》の人たちはお浪さんが殺したのだなんて云っていますけれど……」
「そりゃあ間違いだ。そんなことがあるもんじゃねえ」と、半七は笑いながら打ち消した。
「そうでしょうか」と、お定はまだ不安らしい顔をして、相手の眼色をうかがっていた。
「そうじゃあねえ。お浪がなんで人殺しなんかするもんか」
「そう
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング