はないが、さもなければ何か草履に縁のある……つまり松蔵に縁のある奴がお駒に仕返しをして、右の足だけをそこに打っちゃって置いて、左の方だけを持って行ったんじゃないかと、わたしはふっと考え出したんです」
「そこで、張子の虎の方はどうなんです」と、わたしは訊《き》いた。
「お駒の枕元に置いてあった張子の虎、これも松蔵になにか縁があるんじゃないかと、子分の多吉に云いつけて奉行所の申渡書を調べさせると、石原の松蔵は天保元年の庚寅《かのえとら》年の生まれということが判りました。寅年の男と、張子の虎、これもなるほど縁がある。こうなると松蔵になにか引っかかりのある奴がお駒を殺して、松蔵の位牌《いはい》代りに張子の虎を置いて行ったのじゃないかと鑑定されます。この二つの証拠が揃ったので、もっぱら松蔵にかかり合いのある奴を探索にかかりましたが、下手人《げしゅにん》はどうも外から入り込んだ形跡がない。その晩の客か、家内の者か、その判断がよほどむずかしいのですが、お定という下新造がお駒と特別に仲良くしていたというのが却《かえ》って疑いのかかる本《もと》で、もう一つには、松蔵が処刑になった後から伊勢屋に住み込んだ
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