るのであった。万延元年の十月、きょうは池上《いけがみ》の会式《えしき》というので、八丁堀同心室積藤四郎がふたりの手先を連れて、早朝から本門寺|界隈《かいわい》を検分に出た。やがてもう五ツ(午前八時)に近いころに、高輪《たかなわ》の海辺へさしかかると、葭簀《よしず》張りの茶店に腰をかけて、麻裏草履を草鞋《わらじ》に穿《は》きかえている年頃二十七八の小粋な男があった。藤四郎はそれにふと眼をつけると、すぐ手先どもに頤《あご》で知らせた。
 藤四郎の眼にとまった彼《か》の男は、石原の松蔵という家尻《やじり》切りのお尋ね者であった。かれは詮議《せんぎ》がだんだんに厳しくなって来たのを覚って、どこへか高飛びをする積りであるらしい。飛んだところで思いも寄らない拾い物をしたのを喜んだ手先どもは、すぐにばらばらと駈けて行って、彼のうつむいている頭の上に御用の声を浴びせかけると、松蔵は今や穿こうとしていた片足の草鞋を早速の眼つぶしに投げつけて、腰をかけていた床几《しょうぎ》を蹴返して起《た》った。それと同時に、かれの利腕《ききうで》を取ろうとした一人の手先はあっ[#「あっ」に傍点]と云って倒れた。松蔵はふところに呑んでいた短刀をぬいて、相手の横鬢《よこびん》を斬り払ったのであった。眼にも止まらない捷業《はやわざ》に、こっちは少しく不意を撃たれたが、もう一人の手先は猶予なしに飛び込んで、刃物を持ったその手を抱え込もうとすると、これも忽ち振り飛ばされた。そうして左の眉の上を斜めに突き破られた。
 一人は倒れる。ひとりは流れる血潮が眼にしみて働けない。今度は自分が手をくだす番になって、藤四郎はふところの十手の服紗《ふくさ》を払った。御用と叫んで打ち込んで来る十手の下をくぐって、松蔵は店を駈け出した。片足は草履、片足は草鞋で、かれは品川の宿《しゅく》をさして逃げてゆくのを、藤四郎はつづいて追った。藤四郎はもう五十以上の老人であったが、若い者とおなじように駈けつづけて、品川の宿まで追い込んでゆくと、松蔵ももう逃げおおせないと覚悟したらしい、急に振り返って執念ぶかい追手《おって》に斬ってかかった。
 両側の店屋では皆あれあれと立ち騒いでいたが、一方の相手が朝日にひかる刃物を真向《まっこう》にかざしているので、迂闊《うかつ》に近寄ることも出来なかった。短刀と十手がたがいに空《くう》を打って、二、三度
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