半七捕物帳
張子の虎
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)飛鳥山《あすかやま》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)本門寺|界隈《かいわい》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「木+靈」、第3水準1−86−29]
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一
四月のはじめに、わたしは赤坂をたずねた。
「陽気も大分ぽか付いて、そろそろお花見気分になって来ましたね」と、半七老人は半分あけた障子の間からうららかに晴れた大空をみあげながら云った。「江戸時代のお花見といえば、上野、向島、飛鳥山《あすかやま》、これは今も変りがありませんが、御殿山《ごてんやま》というものはもう無くなってしまいました。昔はこの御殿山がなかなか賑わったもので、ここは上野と違って門限もない上に、三味線でも何でも弾《ひ》いて勝手に騒ぐことが出来るもんですから、去年飛鳥山へ行ったものは、今年は方角をかえて御殿山へ出かけるという風で、江戸辺の人たちは随分押し出したもんでした。それに就いてもいろいろお話がありますが、きょうはお花見が題じゃあないんですから、手っ取り早く本文に取りかかることにしましょう。しかしまんざらお花見に縁のないわけではない。その御殿山の花盛りという文久二年の三月、品川の伊勢屋……と云っても例の化《ばけ》伊勢ではありません。お化けが出るとかいうのが売り物で、むかしは妙な売り物があったもんですが、それが評判で化伊勢と云って繁昌した店がありました。そのお化けの伊勢屋とは違います。……そこの店で二枚目を張っているお駒という女が変死した。それがこのお話の発端《ほったん》です」
お駒はことし二十二の勤め盛りで、眼鼻立ちは先ず普通であったが、ほっそりとした痩形の、いかにも姿のいい女で、この伊勢屋では売れっ妓《こ》のひとりに数えられていた。かれが売れっ妓となったのは姿がいいばかりでなく、品川の河童天王《かっぱてんのう》のお祭りに自分の名を染めぬいた手拭を配ったばかりでなく、ほかにもっと大きい原因があって、宿場女郎とはいいながら、品川のお駒の名は江戸じゅうに聞えていたのであった。
彼女がそれほど高名になったのは、あたかも一場の芝居のような事件が原因をなしてい
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