ったが、この村の習いとしてほかの土地のものとは決して婚姻を許さない掟《おきて》になっているので、お熊は母を捨てて逃げた。徳三郎もはじめは旅先のいたずらにすぎない色事《いろごと》で、その女を連れ出して逃げるほどの執心もなかったのであるが、かれに魅《み》こまれたが最後、もうどうしても逃げることの出来ない因果にまつわられていた。お熊はこの土地でいう蛇神《へびがみ》の血統であった。
ここらには蛇神という怖ろしい血統があった。その血をうけて生まれた者は一種微妙の魔力をもっていて、かれらの眼に強く睨まれると其の相手はたちまち大熱に犯される。単にそればかりでなく、熱に悶《もだ》えて苦しんで、さながら蛇のように蜿《のた》うちまわる。蛇神の名はそれから起ったのである。しかし、彼等はいかに眼を大きくして睨んだからといって、それだけでは決して相手に感応させるわけには行かない。それにはかならず、強い感情を伴わなければならない。妬《ねた》む、憎む、怨む、羨む、呪う、慕う、哀《かなし》む、喜ぶ、恐れる。そうした喜怒哀楽の強い感情がみなぎったときに、かれらの眼のひかりは怖るべき魔力を以って初めて相手を魅することが
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