して、諭《さと》すようにささやいた。
「あなた方が辻斬りでないことは私も大抵察しています。ふたり連れで駕籠にのって、辻斬りをしてあるくのは珍らしい。それにさっき見ていると、あの婆さんの甘酒の固練りという声を聞くと、急に駕籠を停めさせてあっちのお武家が出て行った。それにはなにか訳があるらしい。あなた方はあの婆さんを御存じなんですかえ。御存じならば話してください。その訳さえわかれば、なにも無理に屋敷の名を聞くにも及びません。実を云うと、わたくしはこの間からあの婆さんを尾《つ》けているんです。それを横合いからだしぬけにばっさりとやられてしまっちゃあ、わたくしの役目が立ちません。それを察して正直に話してください。くどくも云うようだが、訳さえわかれば決して御迷惑はかけませんから」
 武士はそれでもまだ渋っていたが、半七からいろいろに説きすかされて、彼もようよう納得《なっとく》したらしく、内に引っ返して一方の武士と何かしばらくささやき合っていたが、結局思い切ってその事情を打ち明けることになった。
「では、屋敷の名は申さんでも宜しゅうござるな」
「よろしゅうございます」
 なんとかして、彼等に口を明かせなければならないので、その白状を聞かないまえに半七は安受け合いに受け合ってしまった。そうして、これから彼等がどんな秘密を打ち明けるかと、両方の耳を引き立てていると、あたかもそこへ足早に駈け込んで来た者があった。
「ああ、親分。いいところへ来ていてくんなすった。小間物屋の野郎、とんだことをしやあがって……女を殺しゃがった」
 それは小間物屋の居どころをさがしに行った幸次郎であった。

     四

 幸次郎は小間物屋の徳三郎の居どころを探しあてて、田町に近い荒物屋の二階へたずねてゆくと、彼はあいにく留守であった。また出直して来ようと思って表へ出ると、あたかもかの雷雨が襲って来たので、近所の知人の家へかけ込んで雨やどりをして、小降りになるのを待って再びたずねていくと、下の婆さんはいなかった。そっと窺うと、二階には微かに人の唸るような声がきこえたので、彼は猶予なしに駈けあがると、うす暗い行燈《あんどう》のまえに若い女が血みどろになって俯向きに倒れていた。そのそばには徳三郎が血に染めた短刀を握って、喪心《そうしん》したようにぼんやりと坐っていた。どう見ても、かれが女を殺したとしか思えないので、幸次郎はその刃物をたたき落としてすぐに縄をかけた。徳三郎は別に抵抗もしなかった。
 倒れている女をあらためると、まだ微かに息が通っているらしかったので、幸次郎は近所の者を呼びあつめて医者を迎いにやったが、その医者の来ないうちに女は息が絶えてしまった。その出来事を報告するために、幸次郎は縄付きの徳三郎を近所のものに張り番させて、とりあえずここへ駈け付けて来たのであった。
 婆殺しと女殺しと二つの事件が同時に出来《しゅったい》して、しかもそれが何かの糸を引いているらしく思われたので、半七はすぐに徳三郎を自身番へひき出させた。真っ蒼になって牽《ひ》かれて来た徳三郎は、たしかに大川端で出逢った若い男であった。
「おい、徳三郎。おれの顔を識っているか」
 徳三郎は無言で頭を下げた。
「おれはまだ見ねえが、殺した女は河内屋のお熊だろう。とんでもねえことを仕出来《しでか》しゃあがった。手前なんで女を殺した。素直に申し立てろ」
「親分さん。それはお目違いでございます」と、徳三郎は喘《あえ》ぐように云った。「わたくしは決して女を殺しは致しません。お熊は自分で乳の下を突きましたのでございます。わたくしが慌てて刃物をもぎ取りましたけれど、もう間に合いませんでございました」
「その短刀は女が持っていたのか」
「いいえ、わたくしの品……」と、徳三郎は云いよどんだ。
「はっきり云え」と、半七は叱った。「てめえの短刀をどうして女に渡したんだ。てめえもまた商売柄に似合わねえ、なんで短刀なんぞを持っているんだ」
「はい」
「何がはいだ。はい[#「はい」に傍点]や炭団《たどん》じゃ判らねえ。しっかり物を云え。お慈悲につめてえ水を一杯のましてやるから、逆上《のぼ》せを下げた上でおちついて申し立てろ。いいか」
 善八が持って来た茶碗の水を飲みほして、徳三郎は初めて一切の事情をとぎれとぎれに申し立てた。彼は浅草で相当な小間物屋の伜に生まれたが、放蕩のために身代をつぶして、一旦は江戸を立退《たちの》くこととなった。やはり小間物の荷をかついで、旅あきないに諸国を流れ渡っているうちに、彼は京大阪から中国を経て九州路まで踏み込んだ。そうして、ある城下町にしばらく足を止めているあいだに、かれはその城下から一里ばかり距《はな》れた小さい村の女と親しくなった。女はかのお熊であった。お熊はお綱という老母と二人暮しであ
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