の世話で住み込んだ女で、年は十九か二十歳《はたち》ぐらいだが、台所働きにはちっと惜しいような代物《しろもの》だそうですよ」
「その小間物屋というのは何という奴だ」と半七はまた訊《き》いた。
「その小間物屋はわっしが識っています」と、幸次郎が代って答えた。「徳という野郎で、徳三郎か徳兵衛か知りませんが、まだ二十二三の生《なま》っ白《ちろ》い奴です。道楽者で江戸にもいられねえんで、小間物をかついで旅あきないをしていたんですが、去年の七、八月ごろから江戸へまた舞い戻って来て、どこかの二階借りをして相変らず小間物の荷を担《かつ》ぎあるいているようです」
「そうか。よし、判った。じゃあ、おめえはその徳という野郎の居どこをさがして引っ張って来てくれ。おれはその馬道の質屋へ行って、もう少し種を洗ってくるから」
「わっしも行きましょうか」と、善八は顔をつき出した。
「そうよ。又どんな用がねえとも限らねえ。一緒にあゆんでくれ」
「ようがす」
善八を案内者につれて、半七が馬道へゆき着いた頃には、このごろの長い日ももう暮れかかって、聖天《しょうでん》の森の影もどんよりと陰《くも》っていた。
「なんだか忌《いや》な空合いになって来ましたね」と、善八は空を仰ぎながら云った。
「むむ。まったくいやな空だ。今夜は一つ降るかも知れねえ」
旋風《つむじかぜ》のような風が俄かにどっと吹き出して、往来には真っ白な砂けむりが渦をまいて転げまわった。ふたりは片袖で顔を掩《おお》いながら、町屋《まちや》の軒下を伝って歩いていると、夕ぐれの色はいよいよ黒くなって来て、どこかで雷の声がきこえた。
「おや、雷が鳴る。妙な陽気だな」
そのうちに、ふたりは河内屋の暖簾《のれん》の前に来たので、善八はすぐに格子をくぐって、帳場にいる番頭に声をかけた。
「もし、番頭さん。親分がすこし用があるんだ。ここじゃあいけねえから、表までちょいと顔を貸してくんねえ」
「はい、はい」
四十五六の番頭が帳場から出て来て、暖簾の外に立っている半七に挨拶した。
「お前さんがここの番頭さんかえ」と、半七は手拭で顔の砂をはらいながら訊《き》いた。
「さようでございます。利八と申して、河内屋に三十四年勤めて居ります。どうぞお見識り置きを……」
「そこで利八さん。早速だがお前さんにちっと訊《き》きたいことがある。この間、こっちの裏口を変な婆さんが覗いていたとかいうじゃありませんか」
「はい。とんだ災難で、番頭ひとりと小僧一人が今にどっ[#「どっ」に傍点]と寝付いて居ります」
利八の話によると、番頭と小僧はきょうまで熱が下がらないで、生殺《なまころ》しの蛇のように蜿《のた》うち廻っている。奉公人どもは気味を悪がって誰も寄り付かないので、主人と自分とが代る代るに看病しているが、なかなか三日や四日では癒《なお》りそうもない。世間の噂を綜合してかんがえると、その時の怪しい婆さんはどうも彼《か》の甘酒売りらしく思われる。実はきのうの午過ぎにも、その婆さんらしい女が店の前をうろ付いているのを近所のものが認めたとかいうので、この上にも重ねてどんな禍いがあろうかと、自分たちも内々恐れていると、かれは小声で半七に訴えた。
「それからお前さんの家《うち》にお熊という女がいるそうですね」
「はい。西国《さいこく》生まれだそうで、年は明けて十九でございます。ちょうど去年の九月、今までの奉公人が急病で暇をとりまして、出代り時でもないもんですから、差し当りその代りの女に困って居りますところへ、てまえ方へ質を置きにまいります徳三郎という小間物屋さんが、時にこんな女があるから使ってくれないかと申しますので、ちょうど幸いと存じて雇い入れましたような訳でございますが、人柄も悪くなし、人間も正直でよく働きます。で、これはよい奉公人を置きあてたと申して、主人を始めわたくし共も喜んで居ります」
「こっちに親戚でもあるんですかえ」
「なんでも芝の方の御屋敷の足軽を頼ってまいったのだそうでございます。と申しますと、まことに不念《ぶねん》のようで恐れ入りますが、なにぶん手前どもでも困っている矢先でもあり、徳さんが万事をひき受けると申しますものですから、その上にくわしくも詮議いたしませんで……」と、利八は小鬢《こびん》をかきながら答えた。
「その後、そのお熊になにも変った様子はないんですね」
「別に変ったこともございませんが、一度その婆さんにあとを尾《つ》けられてから、表へ出るのをひどく忌《いや》がるので困ります。もっともそれは無理もありませんので、大抵の使いにはほかの小僧を出して居りますが、当人も別に病気というわけでもございませんから、家の内ではいつもの通りに働いて居ります。御用があるなら唯今呼んでまいりましょうか」
「いや、呼んじゃあまずい」と、
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