ので、幸次郎はその刃物をたたき落としてすぐに縄をかけた。徳三郎は別に抵抗もしなかった。
倒れている女をあらためると、まだ微かに息が通っているらしかったので、幸次郎は近所の者を呼びあつめて医者を迎いにやったが、その医者の来ないうちに女は息が絶えてしまった。その出来事を報告するために、幸次郎は縄付きの徳三郎を近所のものに張り番させて、とりあえずここへ駈け付けて来たのであった。
婆殺しと女殺しと二つの事件が同時に出来《しゅったい》して、しかもそれが何かの糸を引いているらしく思われたので、半七はすぐに徳三郎を自身番へひき出させた。真っ蒼になって牽《ひ》かれて来た徳三郎は、たしかに大川端で出逢った若い男であった。
「おい、徳三郎。おれの顔を識っているか」
徳三郎は無言で頭を下げた。
「おれはまだ見ねえが、殺した女は河内屋のお熊だろう。とんでもねえことを仕出来《しでか》しゃあがった。手前なんで女を殺した。素直に申し立てろ」
「親分さん。それはお目違いでございます」と、徳三郎は喘《あえ》ぐように云った。「わたくしは決して女を殺しは致しません。お熊は自分で乳の下を突きましたのでございます。わたくしが慌てて刃物をもぎ取りましたけれど、もう間に合いませんでございました」
「その短刀は女が持っていたのか」
「いいえ、わたくしの品……」と、徳三郎は云いよどんだ。
「はっきり云え」と、半七は叱った。「てめえの短刀をどうして女に渡したんだ。てめえもまた商売柄に似合わねえ、なんで短刀なんぞを持っているんだ」
「はい」
「何がはいだ。はい[#「はい」に傍点]や炭団《たどん》じゃ判らねえ。しっかり物を云え。お慈悲につめてえ水を一杯のましてやるから、逆上《のぼ》せを下げた上でおちついて申し立てろ。いいか」
善八が持って来た茶碗の水を飲みほして、徳三郎は初めて一切の事情をとぎれとぎれに申し立てた。彼は浅草で相当な小間物屋の伜に生まれたが、放蕩のために身代をつぶして、一旦は江戸を立退《たちの》くこととなった。やはり小間物の荷をかついで、旅あきないに諸国を流れ渡っているうちに、彼は京大阪から中国を経て九州路まで踏み込んだ。そうして、ある城下町にしばらく足を止めているあいだに、かれはその城下から一里ばかり距《はな》れた小さい村の女と親しくなった。女はかのお熊であった。お熊はお綱という老母と二人暮しであ
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