って、六三郎を引っ張って来た。四月の末になってもまだ満足に移りかえが出来ないらしく、かれは汚れた女物の袷を着ていた。けちな野郎だと多寡をくくって、半七はいきなり嚇《おど》し付けた。
「やい、六。てめえ、ふてえことをしやがったな。真っ直ぐに白状しろ」
「へえ、なんでございます」
「ええ、白らばっくれるな、てめえの襟っ首にぶらさがっているのはなんだ。千手観音の上這《うわば》いじゃあるめえ。よく見ろ」
六三郎の襟には何かの黒い毛が二本ほど引っかかっていた。彦八も初めて気がついてよく見ると、それは備前屋の娘の手に残っていたのと同じ物であった。それを発見すると、彦八は俄かに眼をひからせて彼の腕を引っ掴んだ。
「なるほど、親分の眼は捷《はえ》え。さあ、野郎、神妙に申し立てろ」
「まあ、待て」と、半七は制した。「なんぼこんな野郎でも往来で詮議《せんぎ》もなるめえ。やっぱり自身番へ連れて行け」
ふたりに引っ立てられて、六三郎は近所の自身番へゆくと、年の若い彦八はすぐに呶鳴《どな》った。
「この親分は三河町の半七さんだ。うちの親分が寝ているんで、きょうは名代《みょうだい》に出て来てくんなすったんだが、うちの親分より些《ち》っと手荒いからそう思え。てめえの襟っ首にぶら下がっているものに、親分の不審がかかっているんだ。さあ、何もかも正直に云ってしまえ。辻番の老爺《おやじ》だって、もうむく[#「むく」に傍点]犬を抱いて寝る時候じゃあねえのに、なんだって手前のからだに獣物《けだもの》の毛がくっ付いているのか、わけを云え」
「てめえの襟についているのは熊の毛に違げえねえ」と、半七も云った。「もう面倒だから長い台詞《せりふ》は云わねえ。てめえは備前屋のお絹という娘を殺したろう。物取りか、遺恨か、拐引《かどわかし》か、それを云え」
調べる者と調べられる者と、はじめから役者の格が違うので、六三郎は意気地もなく恐れ入ってしまった。
「こうなれば何もかもありていに申し上げますが、備前屋の娘はわたくしが殺したんじゃございませんから、どうぞ御慈悲を願います。いえ、嘘をつくと思召《おぼしめ》すかも知れませんが、まったく不思議な話なんです」
ことしの正月、かれは博奕《ばくち》にすっかり負けてしまって、表へも出られないような始末になって、狭い裏店《うらだな》に猫火鉢をかかえてくすぶっていると、かの大火事が起った。着のみ着のままの彼はそれを待っていたように表へ飛び出して、どさくさ[#「どさくさ」に傍点]まぎれの火事場泥坊を思い立ったが、あまりに風と火とが烈《はげ》しいので、彼も思うような仕事が出来なかった。いたずらに火の粉に追われながら混雑の中をうろ付いていると、どこからか荒熊が暴れ出して来たので、かれはいよいよ面喰らった。しかもその熊がふたりの侍に退治されたのを見とどけて先ず安心したところへ、かねて顔を識《し》っている車力《しゃりき》の百助というのが来合わせたので、二人はすぐに相談して、その熊の死骸を引っかついで逃げた。熊の胆《い》と熊の皮とは高い値であるということを、彼等はふだんから聞いていたからであった。
二人はともかくも其の熊を六三郎の家へかつぎ込んだが、素人《しろうと》の彼等はそれをどう処分していいかを知らなかった。二日ばかりは縁の下に隠して置いて、百助はそれを自分の知っている皮屋に売り込もうとしたが、相手は足もとを見て無法に廉《やす》く値切り倒したので、ふたりは怒って破談にしてしまった。さりとて生物《なまもの》をいつまでも打っちゃって置くわけにも行かないので、今度は品川から伝吉という男を呼んで来て、儲けは三人が三つ割にする約束で、夜ふけに熊の死骸を高輪の裏山へ運び出した。生皮をあつかうのはむずかしい仕事であるが、伝吉は少しくその心得があるので、焚き火の前でどうにかこうにかその腹を割《さ》いて其の皮を剥《は》いだ。しかし肝腎《かんじん》の熊の胆《い》がどれであるか判らないので、三人は当惑した。腹を截《た》ち割ったら知れるだろうぐらいに多寡をくくっていた彼等は、今更のように途方にくれた。
そこで三人は相談を仕直して、更にもう一人の味方をこしらえることにした。それは彼《か》の備前屋の番頭の四郎兵衛で、かれは大きい薬種屋の番頭であるから熊の胆の鑑別が付くに相違ない。彼をこっちの味方に誘い込んで、かれの口からその主人にうまく売り込んで貰おうということになって、三人は穴を掘って一と先ず熊の死骸を埋めた。剥いだ生皮は自分の方で鞣《なめ》してやると云って、伝吉が持って帰った。二度目の相談はそれと決まったものの、馴染《なじみ》のうすい四郎兵衛を呼び出して、だしぬけにこんな相談を持ちかける訳にも行かないので、六三郎は車湯の勘蔵にその橋渡しを頼もうと思いついた。
勘蔵は四郎兵衛と同国者で、かれは四郎兵衛を頼って江戸へ出て来て、その世話で近所の車湯へ住み込んだのである。その関係から彼は今でも、何かにつけて四郎兵衛の世話になっているらしい。殊にかれは備前屋の娘を救うために大怪我までしているのであるから、熊の一件とは逃がれられない因縁もある。かたがた彼から話し込んで貰うのが便利であると考えて、六三郎はあくる日すぐに勘蔵をたずねてゆくと、かれは痛む腕をかかえて寝ていた。備前屋へ熊の胆を売り込む相談について、かれは一旦|躊躇《ちゅうちょ》したが、結局その仲間入りをすることになって、いずれ自分が起きられるようになったならば番頭に話してみようと受け合った。しかし、こっちはなま物をかかえているのであるから、なるたけ早く相談を持ち込んでくれと掛け合っているところへ、あたかもかの番頭の四郎兵衛が主人の使で勘蔵を見舞に来たので、その枕辺《まくらべ》ですぐにその相談をはじめると、相当の値段ならば引き取ってもいいと四郎兵衛は云った。
その晩、六三郎は四郎兵衛を高輪の裏山へ案内して、熊を埋めたところへ忍んでゆくと、ゆうべ新らしく掘った土は更に何者にか掘り返されたらしい跡がみえるので、かれは一種の不安に襲われた。あわてて其の土を掘ってみると、生々《なまなま》しい熊の死骸は元のまま埋められていたが、その腹のなかに肝腎の胆が無いということを四郎兵衛から云い聞かされて、六三郎も驚いた。何者かが彼等より先に死骸を掘り出して、熊の胆を盗み去ったのであろうという説明を聞かされて、彼はいよいよ驚いてがっかり[#「がっかり」に傍点]した。四郎兵衛も失望したような顔をして帰った。六三郎もその盗人の疑いを品川の伝吉と車力の百助とにかけて、すぐに二人を詮議したが、彼等はなんにも知らないと云った。いくら、真《ま》っ紅《か》になって云い合っても、所詮は水掛け論で果てしが付かなかった。かれら三人の所得は伝吉の手に渡された熊の皮一枚に過ぎないことになってしまった。
四
六三郎が伝吉と百助とを疑うと同時に、ふたりの方でもまた六三郎を疑っているので、彼等のあいだには自然に仲間割れが出来た。伝吉はかの生皮を鞣《なめ》してしまったが、なんとか理窟をつけていて、素直にそれをこっちへ渡そうとしないので、六三郎は腹を立てた。熊の皮一枚が一体いくらの価をもっているものか、六三郎もよく知らなかったが、ともかくも折角の獲物を彼等ふたりに着服《ちゃくふく》されるのは、あまりに忌々《いまいま》しいと思ったので、かれは車力の百助のところへ度々催促に行って、しまいには腹立ちまぎれに喧嘩をして帰った。すると、ゆうべになって彼《か》の百助は熊の皮を持って六三郎の家へたずねて来た。
皮はこの通りに鞣したが、こっちには何分にも売り口がないから、この皮をそっちで引き取って、自分たち二人には骨折り賃として三両の金をくれと百助は云った。そんな金を持っている筈も無し、またそんな金を払う理窟もないと六三郎は剣もほろろ[#「ほろろ」に傍点]に跳《は》ねつけた。結局ここで二度の喧嘩になると、百助も腹立ちまぎれに、そんならこの皮を証拠にして貴様の罪を訴えてやると毛皮を引っかかえて飛び出した。訴えれば彼も同罪である。よもやそんな無鉄砲な真似はしまいと思いながらも、根がそれほど大胆者でない六三郎はなんとなく不安心にもなって、彼のあとからつづいて飛び出した。高輪の海辺で追い付いて、かれは百助を引き戻そうとすると、百助はおそらく嚇し半分であろう、無理に振り切って行こうとするので、ふたりは夜の海辺で掴みあいを始めた。なにしろ証拠物の毛皮を取り戻してしまおうとあせって、六三郎はかれの手から一旦それを奪い取ると、百助がまた取り返した。取ったり取られたりして争っているうちに、二人は毛皮をそこへほうり出して死に身のむしり合いになった。
こうして、ふたりが夢中でむしり合っている最中に、うしろの方で突然に女の悲鳴がつづけて聞えたので、彼等もびっくりして見かえると、ひとりの女がそこに倒れていた。喧嘩もしばらく中止になって、ふたりはともかくもその女を引き起そうとすると、彼女はあたかも彼《か》の毛皮の上に倒れていて、おそらく苦痛のためであろう、片手は熊の毛を強くつかんでいた。更によく見ると、その女の胸のあたりには温かい生血《なまち》が流れ出しているらしいので、二人はまた驚かされた。百助は後難を恐れて先ず逃げ出した。六三郎も一緒に逃げかけたが、なにかの証拠になるのを恐れて又あわただしく引っ返して来て、女の手からその毛皮をもぎ取って逃げた。
お絹と六三郎と熊の毛との関係はこれで判ったが、お絹を殺した下手人《げしゅにん》は判らなかった。六三郎はまったく知らないと云い切った。その申し立てに詐《いつわ》りがありそうにも見えないので、六三郎は単に火事場かせぎとして大番屋《おおばんや》へ送られた。血に染《し》みた毛皮は六三郎の家の縁の下から発見された。
「さて、どいつがお絹を殺したか」と、半七もかんがえた。
ともかくも備前屋へ行って声をかけると、番頭の四郎兵衛は蒼ざめた顔をして出て来た。半七は先ず娘の悔みを云ってから、かれの家出や下手人に就いて何か心当りはないかと訊《き》くと、四郎兵衛は一向に心あたりがないと答えた。しかし彼の何だかおどおどしているような、落ちつかない眼の色が半七の注意をひいた。
「ここの店には内《うち》風呂があるんですか」と、半七はまた訊いた。
「ございます。店の者は車湯へまいりますが、奥では内風呂にはいります」
「この頃に風呂の傷《いた》んだことはありませんかえ」
「よく御存じで……」と、四郎兵衛は相手の顔をみた。「風呂が古いもんですから、ときどきに損じまして困ります。昨年の暮にも一度損じまして、それから四、五日前にもまた損じましたが、出入りの大工がまだ来てくれないので困って居ります」
「風呂が傷んでいる間は、奥の人たちも車湯へ行くんでしょうね」
「はい。よんどころなく町内の銭湯《せんとう》へまいります」
これだけのことを確かめて、半七は更に車湯へ行った。釜前に働いている勘蔵をよび出して、かれは小声で云った。
「おい、この間はありがとう。ときに少し用があるから、そこまで一緒に来てくれ」
「へえ。どちらへ……」
「どこでもいい。当分は帰られねえかも知れねえから、おかみさんに暇乞《いとまご》いでもして行け」
勘蔵の顔色はたちまち灰のようになった。半七に引っ立てられて自身番へゆく途中も、かれの足は殆ど地に付かなかった。彼はときどきに眼をあげて青空をじっと眺めていた。
「このあいだお前に貰った干菓子《ひがし》も綺麗だったが、備前屋の娘も綺麗だったな」と、半七は歩きながら云った。
勘蔵は黙っていた。
「あの娘には情夫《いろ》でもあるかえ」
「存じません」
「知らねえことがあるもんか」と、半七はあざ笑った。「橋場《はしば》の親類の家《うち》にいるじゃあねえか。熊が出るなんて詰まらねえ囈言《うわごと》を云って、娘はもう一度橋場へやって貰おうという算段だろう。火事が取り持つ縁とは、とんだ八百屋お七だ。自分の家へ火をつけねえのが見付け物よ。又その味方になる振りをして誘い出
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